伝統的正月 (旧正月)について | カタギリノエンレイソウ広報

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今日は、伝統的正月 (旧正月)の日。というわけで、本日は、暦についての話題をお送りします。

伝統的正月

伝統的正月 (旧正月)
伝統的正月 (でんとうてきしょうがつ)は、旧正月、春節 (チュンチェ)、ソルラル (朝鮮半島での言い方)、テト (ベトナムでの言い方)ともいい、中国や日本、朝鮮半島、ベトナムなどにおける、太陰太陽暦の1月1日のこと。

中国や日本など漢字文化圏では太陰太陽暦および二十四節気が用いられ、陰暦1月 (正月)は春 (春分を中心とした3か月で、立春から立夏までの期間)の初めの月 (初春、新春)とされていました。したがって、陰暦1月1日は立春 (太陽黄経315°)の近くに位置する朔日で、冬至を過ぎてから通常2番目 (置閏により稀に3番目となることも)にくる朔日にあたります。陰暦1月には通常、二十四節気の雨水 (正月中)の日が含まれています (稀に雨水が陰暦12月または陰暦2月にずれ込むことも)。

春節
中華圏では春節 (チュンチェ)と呼ばれ、最も重要とされる祝祭日であり、新暦 (グレゴリオ暦)の正月に比べ盛大に祝賀され、中国 (台湾・香港・マカオを含む)のみならず、周辺のベトナムや韓国・北朝鮮、中国系移民の多いシンガポールやマレーシアなどでは祝日とされ、数日間の休日が設定されています。

まず春節に先立つ行事として、陰暦12月24日には大掃除をし、竈の神を祭る風習があります。春節の前日 (除夕、陰暦12月の末日)には鶏や魚など、特別な料理を食べる習慣があります。

家の入口には春聯や年画などを貼り、窓などに剪紙 (切り絵)を貼る風習があります。厄除けあるいは神を迎えるため、爆竹を盛大に鳴らし、花火を打ち上げる風習が見られます。また、関連する芸能として、獅子舞を踊る風習も見られます。これらは中華圏の春節の特徴となっています。

春節での習慣としては、起床後に年配者に対して長寿を祝う言葉を述べ、その後、近隣住民や知人と春節を祝う言葉を述べ合うものがあります (拝年)。子供には赤い袋 (紅包)にはいった圧歳銭 (お年玉)を渡す習慣があります。家庭では春節用の衣装を用意し、新年の華やかさを演出するだけでなく、新年に幸運をもたらす意味を持たせています。

春節の来歴に関しては、万年という人物の伝承が民間に伝わっており、勤労かつ善良な少年であった万年は、生活の中で樹木の陰影が時期により移動することや水滴の滴る様を見て、時間に対する規律性を発見したといわれています。万年はこれらの事象から四季を区別し「草暦」を編み出し、それを知った天子はこれを賞賛し春を一年の最初とし、「春節」と名付けることを命じたといわれています。

日本における旧正月
明治5年(1872)まで、日本の暦は太陰太陽暦 (天保暦)となっていました。ところが、同年11月9日に発令された太政官布告第337号により、太陽暦 (グレゴリオ暦)に改暦されました (明治5年の12月3日をもって明治6年(1873)1月1日とすることとなった)。太陽暦の導入は、明治政府の財政状況や欧米諸国との関係の拡大という現実を考えた場合には適切な判断であったようですが、その一方、1000年以上の長期にわたり月の満ち欠けに従って毎月の生活リズムを形成してきた多くの一般の日本人の前に月の満ち欠けとは全く無関係な新たな暦が出現する事となり、人々に動揺を与えるものでした。改暦に伴う混乱を避けるため、太陽暦の導入後も明治42年(1909)までは陰暦月日が神宮司庁の暦書 (本暦・略本暦)に併記されていましたが、明治43年(1910)からは陰暦月日の記載がなくなり、現在に至っています。そのため、日本では太陰太陽暦 (旧暦、天保暦)に基づく祝日は設定されず、沖縄県など一部の地域を除くほかは太陽暦 (新暦、グレゴリオ暦)の日付に従って正月行事を行うことが主流となっています。皇室行事の四方拝 (歳旦祭)なども、太陽暦の日付に従って行われています。国民の祝日の「元日」は太陽暦の1月1日とされ、「年のはじめを祝う」という趣旨が設定されています。

朝鮮半島における旧正月
韓国においては、かつて日本に統治されていた影響で旧正月が公休日とされていなかった時期がありました。それでも、李承晩、張勉政権の時はほとんど裁量によって旧正月の日に休業することが行われていました (二重過歳)。しかし、全斗煥政権時代、「民俗の日」として旧正月の日が公式の休日とされるようになり、さらに盧泰愚政権時代には民俗の日を「ソルラル」と名を変えて3連休が行われるようになりました。こうして韓国での正月は旧正月として確実に定着した一方で、太陽暦 (グレゴリオ暦)による正月 (新正月)のほうは、3連休であったものを2連休化を経て元日たった一日だけの休みに改められました。北朝鮮 (朝鮮民主主義人民共和国)において新正月が旧正月より重要視されているのとは対照的な状況です。

日付
日本における伝統的正月 (旧正月、陰暦1月1日)の日付 (グレゴリオ暦による)は以下のとおり。太陽暦 (グレゴリオ暦)では毎年日付が変わり、通常1月21日~2月20日のいずれかの日付となります。
伝統的正月の日付A
令和6年(2024)の伝統的正月の日は2月10日である。
 

[2034年・2148年・2224年・2243年の伝統的正月の日付に関する詳細は陰暦月名の決定方法を参照のこと]


なお、伝統的正月 (旧正月)の日は全ての国や地域で同じ日とは限らず、時差により日付が1日 (稀に1か月)異なることがあります。参考までに、日本・中国・ベトナムそれぞれの伝統的正月の日付 (グレゴリオ暦)の比較を以下に示しておきます。
伝統的正月の日付B

漢字文化圏以外の伝統的正月
漢字文化圏以外においても、日本で「旧正月」と呼ばれるような伝統的な正月行事が行われている地域がいくつかある。

ツァガーンサル
チベット仏教圏のモンゴルにもツァガーンサルという伝統的な正月行事があり、中華圏の春節とほぼ同時期に行われています。太陰太陽暦に基づく祝日であるが、天文的な朔日に基づく中国の暦とは流儀が異なり、インドの暦に起源を持つモンゴル暦に基づいているため、春節と日付が異なる年もあります。モンゴル暦は太陰太陽暦の一種で、宗教行事や伝統行事のために利用されています。

ロサル
チベット (西蔵自治区)やその周辺の地域ではロサルという伝統的な正月行事があります。太陰太陽暦に基づく祝日であるが、天文的な朔日に基づく中国の暦とは流儀が異なり、インドの暦に起源を持つチベット暦に基づいているため、春節と日付が異なる年が多く、1か月遅れになることも少なくありません。チベット暦は太陰太陽暦の一種で、宗教行事や伝統行事のために利用されています。

東南アジアにおける伝統的正月
上座部仏教圏のタイ・ラオス・ミャンマー・カンボジア・スリランカにも伝統的な正月行事があるが、それぞれの地域で使われていた太陰太陽暦とは関係なく、グレゴリオ暦で4月中旬に相当する時期に行われてきました。タイではソンクラーン、ミャンマーではティンジャンと呼ばれ、元々は太陽が白羊宮 (おひつじ座)に入る瞬間を新年としていましたが、現代では太陽暦 (グレゴリオ暦)の4月13日~15日に固定され、それぞれ国の祝日となっています。なお、インドや東南アジアの暦における1年の長さは公転の周期 (恒星年、公転によって太陽が同じ位置に戻ってくるまでの時間の長さ)に基づいているため、自転軸の向きの変化 (歳差運動)により移動する至点 (夏至点・冬至点)や分点 (春分点・秋分点)に基づいた1年 (太陽年、回帰年、分点年、季節変化の周期)より20分ほど長く、70年間につき1日の割合で暦と季節の関係がずれていくものとなっており、時代とともに新年の時期が徐々に季節の遅い時期にずれていったと考えられます。

ユリウス暦の元日
16世紀以前、太陽暦の一種であるユリウス暦がヨーロッパ全土で使われていました。1582年以降、グレゴリオ暦がヨーロッパ各地で導入されるようになり、19世紀後半から20世紀にかけて世界各国に広まっていきましたが、キリスト教の東方教会では今もなおユリウス暦に基づいて宗教行事が行われている状況が続いています。現在、ユリウス暦はグレゴリオ暦と日付が13日ずれており、20世紀及び21世紀においては、ユリウス暦の1月1日はグレゴリオ暦の1月14日に相当し、ロシア正教会、エルサレム総主教庁、ジョージア正教会、セルビア正教会、アトス山などはこの日を正月として新年を祝っています。なお、グレゴリオ暦とユリウス暦で閏年の頻度が異なり、グレゴリオ暦では西紀年が4の倍数の年のうち、西紀年が100の倍数でありかつ400の倍数でないものを除いた年に閏日が置かれるのに対し、ユリウス暦は閏日を正しく4年間隔で設けるだけであるため、時代とともにグレゴリオ暦とユリウス暦の日付の違いは拡大していきます (1582年10月4日の翌日を10月15日としてグレゴリオ暦を開始した当初は10日であったずれが、西紀年が100の倍数でありかつ400の倍数でない年に1日ずつ拡大していく)。