【国立天文台職員・暦文協会員必読】陰暦月名の決定方法 | カタギリノエンレイソウ広報

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陰暦2033年問題 (日本における太陰太陽暦の月名決定問題)をよりよい形で解決するため、このたび、新しい陰暦月名の決定方法を考えました。日本カレンダー暦文化振興協会の皆様も、国立天文台など公的機関の皆様も、ぜひともこの記事を御覧ください。読んだらいいねしてね!

陰暦月名の決定方法
日本における太陰太陽暦 (以下「陰暦」という。)の月名の決定方法を以下に掲げる通りとすることを宣言する。
 

(i) 秋分の月 (秋分を含む陰暦月)を「陰暦8月」と定める。

陰暦月名の決定方法A

(ii) 2つの秋分の月の間に含まれる陰暦月が12個ある場合に限り、そのいずれかの陰暦月 (中気が入らない陰暦月に限る。)を閏月と定める。

陰暦月名の決定方法B

(iii) 上記(ii)の場合において「中気が入らない陰暦月」が複数ある場合、冬至の月 (冬至を含む陰暦月)を「陰暦11月」と定め、直前の秋分の月と当該の冬至の月の間に陰暦月が3個含まれる場合、そのうち秋分に最も近い「中気が入らない陰暦月」を閏月とする。

(iv) 上記(iii)において直前の秋分の月と当該の冬至の月の間に含まれる陰暦月が2個の場合、当該の冬至の月の直後の春分の月 (春分を含む陰暦月)を「陰暦2月」と定め、当該の冬至の月と春分の月の間に陰暦月が3個含まれる場合、そのうち冬至に最も近い「中気が入らない陰暦月」を閏月とする。

(v) 上記(iv)において当該の冬至の月と春分の月の間に含まれる陰暦月が2個の場合、当該の春分の月の直後の夏至の月 (夏至を含む陰暦月)を「陰暦5月」と定め、当該の春分の月と夏至の月の間に陰暦月が3個含まれる場合、そのうち春分に最も近い「中気が入らない陰暦月」を閏月とし、当該の春分の月と夏至の月の間に含まれる陰暦月が2個の場合、当該の夏至の月と直後の秋分の月の間において夏至に最も近い「中気が入らない陰暦月」を閏月とする。

陰暦月名の決定方法C

 

< 理 由 >

国立天文台は陰暦の月日に関係する事項として「伝統的七夕」(陰暦7月7日に相当)と「中秋の名月」(陰暦8月15日に相当)を定めている。「伝統的七夕」の日は「処暑 (太陽黄経150°)の瞬間を含む日かそれより前で、処暑に最も近い朔の瞬間を含む日」から数えて7日目、「中秋の名月」の日は「秋分 (太陽黄経180°)の瞬間を含む日かそれより前で、秋分に最も近い朔の瞬間を含む日」から数えて15日目としているが、陰暦2月 (春分の月)、陰暦5月 (夏至の月)及び陰暦11月 (冬至の月)の日付に関係する事項を何も定義していないため、中国において時憲暦で採用されていた「冬至 = 陰暦11月」を優先する方式の代わりに、国立天文台が「中秋の名月」として指定した日が「陰暦8月」に含まれるように陰暦月名そのものを調整する形をとることが現実的と考えた。そこで、「秋分 = 陰暦8月」を他の中気 (春分・夏至・冬至を含む)に優先して定め、2つの秋分の月の間に含まれる陰暦月が12個の場合、中国の時憲暦で採用されていた「中気の入らない最初の月を閏月とする」方式を参考にしつつ、可能な限り冬至・春分・夏至がそれぞれ陰暦11月・陰暦2月・陰暦5月に含まれるように配慮して閏月を決定する方式を考案した。
 

<具 体 例>

・2020年 (令和2年)の陰暦月名

陰暦月名の決定方法D

大部分の年に関しては、2つの秋分の月の間に含まれる陰暦月が11個の場合、中気が各月に1つずつ入り、秋分の月は8月、霜降の月は9月、小雪の月は10月というように、それぞれの月名が特定の中気に整然と対応づけられていることが確かめられる。また、2つの秋分の月の間に含まれる陰暦月が12個の場合、「中気が入らない陰暦月」がこの間に少なくとも1つ現れることが示されるが、それも大部分は「中気が入らない陰暦月」が1つだけという状況で、その月を閏月としてただ一通りに月名を決定できることが確認される。例えば、2020年は9月17日 (日付はグレゴリオ暦による。以下同じ)からの陰暦月が秋分の月 (陰暦8月)であり、その前は2019年8月30日からの陰暦月、次は2021年9月7日からの陰暦月が秋分の月に該当する。2019年の秋分の月と2020年の秋分の月の間は12個の陰暦月が含まれており、中気はそれぞれ別々の陰暦月に1つずつ入り、2020年5月23日からの陰暦月だけが中気を含んでいないため「閏4月」となっている。2020年の秋分の月と2021年の秋分の月の間に含まれる陰暦月は11個で、閏月はなく、中気はそれぞれ別々の陰暦月に1つずつ入っている。
 

・1851年 (嘉永4年)~1852年 (嘉永5年)及び1870年 (明治3年)の陰暦月名

陰暦月名の決定方法E

この新しい月名決定方式は、天保暦が公用されていた1844年 (天保15年/弘化元年)~1872年 (明治5年)の日本における実際の日付を矛盾なく説明することができる。可能な限り冬至・春分・夏至がそれぞれ陰暦11月・陰暦2月・陰暦5月に含まれるように配慮するため、中気が2つ含まれる陰暦月が実際に現れた嘉永4年(1851)から翌年にかけての時期と、明治3年(1870)の陰暦月名も、実際に使われていた通りの配当を再現する。
 

・2033年 (令和15年)の陰暦月名

陰暦月名の決定方法F

さて2033年はどうだろうか。日本において定気法の二十四節気は天保暦とともに1844年に導入され、天保暦において月名の決定に利用されていた。しかし、定気法を導入した結果、陰暦のひと月の間に中気が2つ入ってしまう事態が起こりうるようになり、それに伴って月名や置閏に関して特別な調整を行う必要が生じた。そこで、天保暦において、「秋分の月は8月、冬至の月は11月、春分の月は2月、夏至の月は5月となるように調整する」というルールが設定されたが、それでも、陰暦の月名がうまく決まらない事態がなお起こりうることが判明している。その事態が天保暦及び定気法の導入以来2033年に初めて起こることから「陰暦2033年問題」、「旧暦2033年問題」または「2033年旧暦閏月問題」などと呼ばれている。

でもこの新しい月名決定方式なら、「中秋の名月」の日取りを重視するため、秋分の月を「陰暦8月」と定めることを優先、2033年は「閏7月」で決まり!「中秋の名月」の日は10月7日で確定!さらに、陰暦9月の十三夜 (後の月)は11月4日、陰暦10月の十日夜 (三の月)は12月1日となり、2034年の旧正月 (伝統的正月)も2月19日で確定だ!
ただ「秋分 = 陰暦8月」を優先して月名を調整する都合上、秋分の月の2か月後にあたる冬至の月は「陰暦10月」となることに注意。また、秋分の月が夏至の月の2か月後にあたる場合も、「秋分 = 陰暦8月」を優先する都合上、当該の夏至の月は「陰暦6月」となることに注意。つまり、秋分を「陰暦8月」に固定しても、夏至や冬至の月名まで固定することはできないことを意味する。
 

・2147年~2148年及び2242年~2243年の陰暦月名

陰暦月名の決定方法G

2147年後半~2148年前半、2242年後半~2243年前半とも、「秋分の月→霜降の月→中気無し→小雪・冬至の月→中気無し→大寒・雨水の月→中気無し→春分の月」の配置パターンが出現している。天保暦のルールで月名が決まらないのは「大寒と雨水の両方を含む陰暦月」及びその前月・翌月にあたる「中気が入らない陰暦月」であり、さらに前後の冬至の月を陰暦11月、春分の月を陰暦2月と決めることができても「11月→閏11月→12月→1月→2月」とすべきなのか、それとも「11月→12月→1月→閏1月→2月」とすべきなのかが不明確ではどうしようもないように思えるかもしれない。

でもこの新しい月名決定方式なら、このような場合、冬至の月 (陰暦11月)と春分の月 (陰暦2月)の間に含まれる3つの陰暦月のうち、冬至に最も近い「中気が入らない陰暦月」を閏月とするので、「11月→閏11月→12月→1月→2月」で決まり!2148年・2243年とも旧正月 (伝統的正月)は2月20日で確定!
つまり、「陰暦11月」とした冬至の月と「陰暦2月」とした春分の月の間に陰暦月が3個含まれる場合において、当該の冬至の月の次が「中気が入らない陰暦月」となった場合、その次の陰暦月に含まれる中気の数が1つ (大寒のみ)でも2つ (大寒・雨水)でも関係なく、「閏11月」を設けることとなる。「閏1月」(閏正月)を設けるのは、冬至の月 (陰暦11月)と春分の月 (陰暦2月)の間に含まれる3つの陰暦月のうち、当該の春分に最も近い陰暦月のみが「中気が入らない陰暦月」に該当する場合に限る。すなわち、冬至の月と春分の月の間に閏月を置くべき場合においては、「大寒 = 陰暦12月」が「雨水 = 陰暦1月」に優先する形となるわけである。さらに、秋分の月と冬至の月の間に閏月を置くべき場合、春分の月と夏至の月の間に閏月を置くべき場合、及び、夏至の月と秋分の月の間に閏月を置くべき場合についても同様に、「霜降 = 陰暦9月」が「小雪 = 陰暦10月」に優先、「穀雨 = 陰暦3月」が「小満 = 陰暦4月」に優先、「大暑 = 陰暦6月」が「処暑 = 陰暦7月」に優先する形で月名を決定することとなる。

陰暦月名の決定方法H

 

・2223年~2224年、2557年~2558年及び2576年~2577年の陰暦月名

陰暦月名の決定方法I

2224年・2558年・2577年などは、それぞれ春分の月が直前の冬至の月の2か月後にあたり、天保暦のルールが当てはまらない状況となっている。2033年においては、冬至の月が秋分の月の2か月後にあたるため「秋分 = 陰暦8月」と「冬至 = 陰暦11月」の両方を満たすことができないのに対し、2223年~2224年のような状況では「冬至 = 陰暦11月」と「春分 = 陰暦2月」の両方を満たすことができない。

でもこの新しい月名決定方式なら、このような状況にもきっちり対応してくれます。2つの秋分の月の間に含まれる陰暦月が12個あり、「中気が入らない陰暦月」がこの中に複数ある場合、冬至の月が陰暦11月となるように月名を調整するので、2223年は「閏9月」、2557年と2576年は「閏8月」で決まり!2224年の旧正月は2月20日、2558年と2577年の旧正月は2月19日で確定!
ただ、「陰暦11月」とした冬至の月の2か月後にあたる春分の月は「陰暦1月」となることに注意。また、春分の月が秋分の月の5か月後にあたる場合も、秋分の月を陰暦8月として月名を調整する都合上、当該の春分の月は「陰暦1月」となることに注意 (1843年 (天保14年)以前に遡って日本の陰暦に定気法を適用した場合、717年 (霊亀3年/養老元年)と1700年 (元禄13年)がそのケースに該当)。二至・二分の月名はいずれか1つしか固定できず、二至・二分と月名の関係を秋分から次に来る順 (秋分 > 冬至 > 春分 > 夏至)で優先する関係上、状況によっては冬至の月が「陰暦10月」になったり、春分の月が「陰暦1月」や「陰暦3月」になったり、若しくは、夏至の月が「陰暦4月」や「陰暦6月」になったりすることがありうる。
 

<時憲暦ルールとの違い>

陰暦月名の決定方法J

中国では時憲暦とともに定気法の二十四節気が1644年に導入された。定気法では陰暦のひと月の間に中気が2つ入ってしまう事態が起こりうるが、そのために時憲暦において設定された閏月の決め方は「2つの冬至の月の間に含まれる陰暦月が12個ある場合、その中で最初にくる「中気が入らない陰暦月」を閏月と定める」というものである。しかし、時憲暦のルールは1851年 (嘉永4年)~1852年 (嘉永5年)の日本における実際の日付とは整合しない。冬至の月と春分の月の間に含まれる陰暦月が2つで、当該の冬至の月を陰暦11月、春分の月を陰暦2月とできる状況にもかかわらず、閏11月が入るせいで当該の春分の月が「陰暦1月」となってしまうからである。この1851年~1852年と同じ状況は2728年~2729年にも出現する。

2033年 (令和15年)~2034年 (令和16年)については、冬至の月が秋分の月の2か月後にあたるため、天保暦のルールである「秋分 = 陰暦8月」と「冬至 = 陰暦11月」の両方を満たすことができず、「秋分 = 陰暦8月」を優先すれば当該の冬至の月は「陰暦10月」となり、「冬至 = 陰暦11月」を優先すれば当該の秋分の月は「陰暦9月」となってしまう状況となっている。時憲暦ルールは「冬至 = 陰暦11月」を優先するのに対し、この新しい月名決定方式は「秋分 = 陰暦8月」を優先し、国立天文台による「中秋の名月」の日が常に「陰暦8月15日」となるように意識したものである。そのため、秋分の月と冬至の月の間が1か月となる状況では、当然、月名の配当が異なることになる。
 

< 結 論 >

この新しい月名決定方式は、秋分の月を「陰暦8月」として定めることを優先し (「中秋の名月」の日取りを重視)、「中気の入らない最初の月を閏月とする」という時憲暦のルールを参考にしつつ、可能な限り冬至・春分・夏至がそれぞれ陰暦11月・陰暦2月・陰暦5月に含まれるように配慮するものである。その特徴は以下の通りである。
 

(i) 国立天文台が「中秋の名月」として指定する日が「陰暦8月」に含まれる。中秋の名月とは、本来、陰暦8月15日の夕方の空に昇ってくる月のことを指すが、「暦象年表」や「理科年表」、「暦要項」には陰暦月日の情報が記載されていないため、基本的に「秋分 (太陽黄経180°)の瞬間を含む日かそれより前で、秋分に最も近い朔の瞬間を含む日」から数えて15日目とする形となっているようである。

(ii) 天保暦が公用されていた1844年 (天保15年/弘化元年)~1872年 (明治5年)の日本における実際の日付を矛盾なく説明することができる。「秋分の月は8月、冬至の月は11月、春分の月は2月、夏至の月は5月となるように調整する」という天保暦のルールが適用できる限り、そのように月名を配当するからである。

(iii) 月名と中気の関係に関する優先順位は以下の通り。

1. 二至・二分 (秋分・冬至・春分・夏至) > その他の中気

2. 「秋分 = 陰暦8月」>「冬至 = 陰暦11月」>「春分 = 陰暦2月」>「夏至 = 陰暦5月」

3. 「霜降 = 陰暦9月」>「小雪 = 陰暦10月」

4. 「大寒 = 陰暦12月」>「雨水 = 陰暦1月」

5. 「穀雨 = 陰暦3月」>「小満 = 陰暦4月」

6. 「大暑 = 陰暦6月」>「処暑 = 陰暦7月」

(天保暦本来の 1. に加え、二至・二分は秋分から次にくる順で、その他の中気同士は先にくる方を優先)


この新しい月名決定方式を考案した私としては、陰暦の月名が決まらないからといって「中秋の名月」の日をはっきり決めないようなことや、あるいは、「中秋の名月」をその年だけ2回 (両方祝う)にするようなことは、(閏8月に「後の十五夜」を祝う風習を除く他は)あってはならないと考えています。また、国立天文台が「中秋の名月」として指定した日が、「冬至 = 陰暦11月」優先、「春分 = 陰暦2月」優先、または「夏至 = 陰暦5月」優先の配当によって「陰暦7月15日」や「陰暦9月15日」になるようなことも、望ましくないと考えています。一般社団法人日本カレンダー暦文化振興協会は、「2033年旧暦閏月問題」に関して、閏11月 (冬至優先)の配当を推奨する見解を平成27年(2015)に出していますが、それでは、国立天文台の定義による2033年の「中秋の名月」の日が「陰暦9月15日」になってしまうではないか。陰暦8月には十五夜を祝う風習 (中秋の名月、中秋節、芋名月)があり、陰暦9月には十三夜を祝う風習 (後の月、栗名月、豆名月)があります。しかし、陰暦9月15日にはもともとそのような風習なんかありません。陰暦9月に十三夜と十五夜 (中秋の名月)を並行して行うことなんか、考えられません。また、「中秋の名月」として国立天文台が指定した日付以外の日に「陰暦8月」の十五夜を祝うような事態になったら、国立天文台が困るではないか。そのようなもめ事を避けるために、陰暦2033年問題については、「冬至 = 陰暦11月」優先にこだわることよりも、国立天文台による「中秋の名月」の日が「陰暦8月」に含まれるように陰暦月名そのものを調整することが現実的と考えています。
 

<メッセージ>

一般社団法人日本カレンダー暦文化振興協会の皆様、考えてください。国立天文台は「伝統的七夕」及び「中秋の名月」の日付を具体的に決めています。陰暦月名の決定を行わずに、「特定の二十四節気の瞬間を含む日」と「朔の瞬間を含む日」を使って直接に定義する形となっていますが、特に「中秋の名月」の日については、天保暦のルールに基づいた「陰暦8月15日」に一致しています。この「中秋の名月」の日が「陰暦8月15日」と異なる日になるような陰暦月名の決め方は、上記のもめ事の原因になります。国立天文台を困らせないでください。社会的な混乱が余計にひどくなります。私は、「国立天文台による『中秋の名月』の日を含む陰暦月」(秋分の月)が「陰暦8月」に必ずしもならない月名決定方法に反対です。「公的機関 (国立天文台など)は問題解決にノータッチ」などといわずに、見解を見直してください。このたび私が新しく考案した月名決定方式は、「天保暦式置閏法」のうち「閏7月になる案」に属するものです。国立天文台の定義による「中秋の名月」の日に「陰暦8月15日」を合わせる形で陰暦月名を調整してください。

外部リンク

暦計算 Online - 陰暦・節気計算 (本記事に掲載した月名決定方式に基づいている)


(最終更新日: 2021年3月6日)

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