聖書の数学―その驚異
聖書のゲマトリア
キリスト復活後、弟子たちが主のお言葉通りに
網をおろしてみると、「153匹」もの魚で網がいっぱいになった。
聖書のヨハネの福音書に、復活後の主イエスが弟子たちに命じて、ガリラヤ湖で網を張らせ、そのとき「153匹」の魚が網にかかった、と記されている。
「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』彼らは言った。『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。・・・・
イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。・・・・
シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった」(ヨハ21・3~11)。
イエスのご命令によって網をおろしてみると、「153匹」もの魚がかかったという。この数は、一見何の変哲もない数字に見えるが、この数字にはじつに深い意味が隠されているのである。
「153」は三角数
まず、「153」は、1~17までの整数を全部足した数である。
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17=153
こうした数は、「トライアングル・ナンバー」(triangle number)または、「三角数」と呼ばれている。
三角数は、1から始まり、3(1+2)、6(1+2+3)、10(1+2+3+4)・・・・と続く。153は17番目の三角数である。
三角数
(153は、17番目の三角数である)
読者はボーリングをやったことがあると思う。ボーリングのピンは第1列目にピンが1本あり、2列目に2本、3列目に3本、4列目に4本並んでいる。
合計10本であり、これら全体が三角形を作っている。この後ろに、もし5列目として5本並ばせれば計15本、6列目として6本並ばせれば計21本となる。
しかし、全体の形はつねに三角形のままである。「三角数」の名は、これに由来する。次ページの表1は、三角数を表にしたものである。
じつは聖書の中、また聖書に関連した数として、三角数がよく出てくる。次のものはみな三角数である。
●神は唯一──1
●神の三位一体──3
●神が天地創造のみわざをなされ た日数──6
●カナの結婚式でイエスは、6つ のかめに入った水を全部ぶどう 酒に変えられた(ヨハ2・6) ──6
●イエスは受難の予告から6日の 後に変貌された(マコ9・2)――6
●「主の祈り」は6つの願いから 成る――6
●神はモーセに「十戒」を与えら れた。──10
●聖書巻頭の言葉、創世記1・1 「はじめに神が天と地を創造さ れた」を構成するヘブル語の文 字数──28
●聖書の書物数──66
●ペンテコステの日に二階座敷に 集まっていた弟子達の数(使徒 1・15)──120
●難破した船でパウロと共に救わ れた人々の数(使徒27・36) ──276
●ノアの箱舟の長さ(創世6・15) ──300(キュビト)
●患難時代の独裁者「獣」を現わ す数(黙示13・18)──666
●創世記1・1のヘブル語を数字 に換算したもの(後述するゲマト リア)――2701
これらはみな三角数である。そして、今私たちが見ている「153」も、三角数なのである。
「153」の特殊性
153は、三角数の中でも非常に特別である。いや、すべての数の中でも、非常に特別な意味を持った数である。
数学者は、たとえば1 2 3 4というように、連続した整数をかける場合、これを4!というように書く。すると、
1!=1 = 1
2!=1×2 = 2
3!=1×2×3 = 6
4!=1×2×3×4 = 24
5!=1×2×3×4×5=120
であり、
1!+2!+3!+4!+5!=153
となる。このように153は、非常にまれな数であることがわかる。
また、153を逆さまに読んだ351も、153と同様、三角数なのである。351は26番目の三角数である。
表1 三角数
153は数の3分の1を代表する
さらに153に関し、次のような数学的操作を施してみよう。
●153の各桁の数値は1、5、3である。これら各桁の数を3乗して、たす。すると、どんな数が出てくるか。
153→(1の3乗)+(5の3乗)+(3の乗)
=(1×1×1)+(5×5×5)+(3×3×3)
=1+125+27
=153
つまり、各桁の数字を3乗して足すと、もとの153に戻る。この「3乗」というのは、本誌が「立方体化」と呼ぶことなのであるが、なぜこのような作業をするかという詳しいことは、後述する。
ただここでは、幕屋の至聖所が立方体であったことにも見られるように、立方体は重要な神的象徴であり、「3乗」というのはそれにかかわっている、ということだけを述べておきたい。
「各桁の数値を3乗して足す」という作業を153に施すと、もとの153に戻ると述べたが、では、各桁の数字を入れ替えた場合──135、513、351などの場合はどうだろうか。
135 → (1の3乗)+(3の3乗)+(5の3乗)=153
513 → (5の3乗)+(1の3乗)+(3の3乗)=153
351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗)=153
やはり、153になる。これはすぐ理解できるであろう。
じつは、各桁の数字を入れ替えた場合だけではない。どんな数であっても、それが3で割り切れる数であれば、この作業を施せば必ず153に帰結するのである。
何でもよいから、読者は、3で割り切れる数を何か頭に思い浮かべてほしい。たとえば、33は3で割り切れる。99、273、12、14万4000・・・・これらは、みな3で割り切れる数である。
例として、99でやってみよう。99に、先ほどの「各桁を3乗してたす」――立方体化という作業を、4回施してみる。
(1) 99 → (9の3乗)+(9の3乗) =1458
(2) 1458 → (1の3乗)+(4の3乗)+(5の3乗)+(8の3乗)= 702
(3) 702 → (7の3乗)+(0の3乗)+(2の3乗) = 351
終 351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗) = 153
こうして、最終的な答えは必ず153になる。以後は、何度やっても153のままである。99だけではない。何でも153になる──3で割り切れる数なら。
たとえば、1080は3で割り切れる数だから、この作業を施すと153になる。途中の計算を省略して書くと、
1080→513→153
となる。そのほか375、2001、99999・・・・、たとえ何億という数であれ、どんな数でも3で割り切れる数であれば、この作業を施せば何回かの後に、必ず153に帰結する。
読者は電卓を出して、自分の思う数を思い浮かべて、これを確かめて欲しい。
「3で割り切れる数」ということは、じつは言い換えれば3つごとに153に帰結する数がある、ということである。つまり、すべての数の3分の1は、この作業を施すことによって必ず153に帰結する。
153は、すべての数の3分の1を代表するのである。
153は、復活後のイエスが弟子たちに網をおろさせて漁をさせたとき、網にかかった魚の数であった。かつてイエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタ4・19)
網にかかった「153匹の魚」は、福音を信じて最終的に救われる人々を象徴していたのである。ゼカリヤ書にこう預言されている。
「全地はこうなる。──主の御告げ。──その3分の2は断たれ、死に絶え、3分の1がそこに残る。
わたしは、その3分の1を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民。』と言い、彼らは『主は私の神。』と言う」(13・8~9)。
最終的に、神の救いに入る人々の数は、全人類の3分の1なのである。あとの3分の2は、神への信仰を拒むために、自分の罪の中で滅びるであろう。
「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう」。
ガリラヤ湖畔(カペナウム)
ヨハネの黙示録を見てみても、第六のラッパの時に「人類の3分の1」が死ぬ、と記されている(9・15)。あと3分の1は、疫病や、地震、戦争、独裁者「獣」による災い、その他で死ぬであろう。そして生き残る人々──クリスチャンの数は、全人類の3分の1と思われる。
実際、今日全世界の人口に占めるクリスチャンの数は、約3分の1であると言われている。
弟子たちの網にかかった「153匹の魚」は、これを象徴する数だったのである。
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