小野小町の謎⑦ 妙性寺縁起 よりつづく
●雨乞小町5月2日~3日、神泉苑では神泉苑祭が行われている。
付近の街並みを稚児行列が歩き、狂言堂では神泉苑狂言が行われていた。また法成就池のほとりの舞殿では小野小町を題材にした日本舞踊が奉納されていた。(すいません、写真がありません。)
神泉苑で小野小町の日本舞踊が奉納されているのは、小野小町が神泉苑で雨乞いをしたという伝説にもとづくものだろう。京の都の神泉苑で小野小町が雨乞いをし、見事雨を降らせた。その雨乞いのために詠んだのが次の歌とされる。
ことわりや 日の本ならば 照りもせめ
さりとては 又天が下とは
(道理であるなあ、この国を日本と呼ぶならば、
日が照りもするだろう、
しかしそうは言っても、又、
天(雨)の下とも言うではないか。
だから、雨を降らせてください。)
また千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ
天のと川の 樋口あけたべ
(神様、日照りを御覧になったなら、
大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)
という歌を詠んだとも伝わる。
●語呂合わせは言霊信仰の一種だった。
小野小町が詠んだ雨乞いの歌は語呂合わせが面白い。
ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは(道理であるなあ、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするだろう、しかしそうは言っても、又、天(雨)の下とも言うではないか。だから、雨を降らせてください。)日本→日の本(元)→日が照る。天下→天は「あめ」とも読む→「あめのした」→「雨の下」→雨が降る。
日本には古くから言霊信仰があった。言霊信仰とは「口にした言葉は実現する力を持っている」とする考え方のことである。山岸凉子先生の漫画『テレプシコーラ』ではバレエの鳥山先生が拓人に言霊信仰について教えるシーンがある。「いつもダメだ。できない。」と言っていると本当にできなくなる。意地でも「できる。」というべきだというのだ。鳥山先生が言っていることは確かに正しい。
しかし、私はもともとの言霊信仰はポジティブ・シンキングではなく、まじないだったのではないかと考えている。すなわち「雨が降る」と言葉にすれば本当に雨が降り、憎い相手に「死ね」といえば本当に死ぬ、ということである。しかしあまりにストレートすぎるまじないは神様のお気に召さなかったのかもしれない。
また、和歌による呪術は
他人に気づかれないように
行う必要があったからかもしれない。
小町は掛詞、縁語、
もののななどのテクニックを用いて、
他人に気付かれないよう、またひとひねりして
神様が「おお!」と感嘆するような
呪術をかけようとしたようである。
和歌の掛詞や縁語、もののななどの技法は、和歌の技法であると同時に、言霊信仰によるまじないの技法でもあったのではないだろうか。
千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ 天のと川の 樋口あけたべ(神様、日照りを御覧になったなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)
こちらの方の歌は語呂合わせ+アルファのユーモアで神に雨を降らせようとしている。旧暦の7月は梅雨があけるころのことである。7月7日は七夕で、織女と牽牛が天の川にかかるかささぎの橋を渡って逢瀬を楽しむ、と言われている。このごろは都会の夜は明るすぎて天の川はほとんど見えないが、私が子供のころは都会でも天の川が見えていた。昔の人は梅雨が明けて天の川が見えてくると、そろそろ七夕の季節だな、と感じたことだろう。
小町は『天の川』というネーミングに注目し、これを語呂合わせで『雨の川』とした。そして天の川=雨の川の出口をあければ雨が降る、と洒落たわけである。
●神泉苑の雨乞い伝説神泉苑で雨乞いをしたと伝わる人物は小野小町だけではない。
空海や静御前も神泉苑で雨乞いをしたと伝わっている。
どうやら旱魃には神泉苑で雨乞いをする習慣があったらしい。
中でも空海と守敏(しゅびん)の「降雨祈願法力争い」は有名である。まず守敏が祈願法力で雨を降らせたが、雨は僅かな量しか降らなかった。次に空海が降雨祈願を行うが、雨を降らす竜神は守敏の呪術で封じ込められていた。これに気付いた空海は、善女竜王が天竺にいることを突き止め、京に導いた。
こうして京の都に雨が降った。神泉苑の法成就池にかかる法成橋を渡った小島にお堂があり、ここに善女竜王が祀られている。そして神泉苑の池のほとりには弁天堂がある。弁天堂は七福神の一柱・弁財天を祀る堂であるが、弁財天はもとはインドのサラスパティーという水の神であった。どちらも同じ水の神であるところから、弁財天と善女竜王は習合されたようである。
1182年の旱魃の際には、朝廷は100人の舞姫を神泉苑に集めて雨乞いをさせた。雨乞いの場所として神泉苑を選んだのは、空海が雨乞いをした際に天竺からやってきた善女竜王が神泉苑の法成就池に住んでいると伝えられていたからである。
99人の舞姫が雨乞いの舞を舞っても
雨は降らなかったが、
最後に静御前が後白河法皇から賜った
蛙蟆龍(あまりょう)の錦の舞衣を着て、
しんむじょうという曲を舞うと、
愛宕山の方向に黒い雲が涌き出し、雨が降った。
雨は三日間降り続き、都は旱魃からすくわれた。
後白河法皇は静を「日本一」と称した。
小野小町は和歌によって雨を降らせたが、静御前は舞うことによって雨を降らせている。舞もまた和歌と同様、呪術の道具であったようである。
●雨を降らせる神は女神である。
神泉苑で雨乞いを行ったのは、空海・小野小町・静御前で、空海のみ男性である。しかし空海は善女龍王を勧請することで雨を降らせたのであり、実際に雨を降らせたのは善女龍王である。
従って、雨を降らせる神は女神だといえるだろう。
神泉苑の法成就池だけでなく、池や湖、川や海のほとりには弁財天やイチキシマヒメ、善女竜王など女神が祀られることが多い。女神は水の神なので雨をもたらす神だと考えられたのだと思う。小野小町が神泉苑で雨乞いをしたという伝説は、小野小町が弁財天・イチキシマヒメ・善女竜王と習合されている(同一視されている)ことを示すものだろう。
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