つづき



何事が起こってきても 
そなたはまず喜べよ。
それが
苦しいことでも、悲しいことでも
喜んで迎えよ。


喜ぶ心は喜び生むぞ。
人民喜べば神喜ぶぞと申してあろうが。
天地晴れるぞ。
輝くぞ。


そなたは先ばかり見ているぞ。
足で歩くのじゃ。
足もとに気つけねばならんぞよ。


そなたは自分一人で
勝手に苦しんでござるなれど、
みなと仲よう相談なされよ。
相談結構じゃなあ。
相談して、悪いことは
気つけ合って進んで下されよ。



わからんことは神示ふでに聞くがよいぞ。
遠慮いらん。


そなたは一足飛びに
二階に上がりたい気持ちが抜けない。
何事も
一段ずつ、一歩ずつ進まねばならん。
それより他に進み方はないのじゃぞ。


まずそなたの中にいる「けだもの」を
言向け合させねばならんぞ。
よく話し、教え、導かねばならん。
けものを人間と同じにしようとしてはならん。
けものけものとして導かねばならん。


金は金、なまりなまりぞ。
なまりを金にしようとしてはならん。
なまりなまりとして導かねばならんぞ。
浄化とはそのこと。


世は七度の大変わり、
いよいよの段階に入ったら、
何が何だか、我よしの人民には
いよいよわからなくなり、
あせればあせるほど深みに落ち込むぞ。


心の窓を大きく開いて、
小さい我の慾を捨てると、
遠くが見えてくるのじゃ。


遠くが見えてくるのじゃ。
見えたらまず
自分の周囲に知らせねばならん。
知らすことによって
次の道がひらけてくるのじゃ。
自分だけではうれしうれしとならん。
うれしくないものは弥栄いやさかしないぞ。


冬になったら冬ごもりぞ。
死ぬ時には死ぬのが弥栄いやさかぞ。
遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。
コト=言(光透)と、時と、
その順序さへ心得てござれば、
何をしても、何を話しても、
何を考えても良いのじゃ。





こちらに顕れ
告げられたのでした

人のカタチをとった、カミさまから

こちらの御神木が 
モトはどちらに 在った のかを。



おかげさまで、ありがとうございます。

🌸(^人^)🌸



そなたはいつも
深刻な顔をして考え込んでいるが、
考え方にも幾通りもござるぞ。
考えは迷いと申してあるのは、
そなたのような場合ぞ。


そなたは苦に向かい
苦に勝ったつもりで、
苦を楽しんでござるが、
苦は曲がることぞと知らせてあろうが。
苦を作り出してはならんぞ。


苦を楽しむより、
楽を楽しむ心高いぞと知らしてあろう。
苦しむと曲がり、楽しむと伸びるぞ。


そなたはまだ方便を使っているが、
方便の世は済んでいるのだ。
方便の教えとは横の教え、
いろはの教え、平面の教えのことぞ。
仏教もキリスト教も回教も
みな方便でないか。
教えはみな方便じゃ。
教えではどうにもならん。


ぎりぎりの世となっているのぞ。
みちでなくてはならん。
変わらぬ太道たいどうでなくてはならんぞ、
『方便』の世は済んで
『ほうべん』の世となり、
そのほうべんの世も
やがて終わるぞと知らしてあろうが。


みちとは三界を貫く道のことぞ。
宇宙に満ち満つ「ゝ」のあり方ぞ。


法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。
弥栄いやさかぞ。喜びぞ。
わかりたか。



マコトに祈れと申してあろう。
マコトとは
1234567810のことと
申してあろう。
ただ心で祈るばかりでは、
自分で自分をだますことになるのじゃ。
自分をいつわることは
神をいつわることとなるのじゃ。
マコトで祈れば何事も
スラリスラリとかなう結構な世ぞ。