ダンナちゃんの入院中

家族以外の人と 再会することから

ほんの少しとはいえ、ダンナちゃんは 
脳に プラスに働く 刺激を授かり

わたしは
心に マイナスに働く 刺激として
受け取ることとなりました。


「脳」と「心」

「脳」がクリアに働くことで
「心」の闇までもクリアに浮かんで来る


この時から後に

『覚醒』とは何なのか、と

さらに命懸けで 向き愛することとなったのでした。




ダンナ様が退院してから

今度は公共の乗り物を利用して

通院リハビリを受けることになりました



担当医からは

入院リハビリしている時から

週末の一時帰宅時には

ダンナ様が自分一人で公共の乗り物を利用して

病院と自宅の行き来を出来るようにと指示を受けていましたが


ダンナ様は入院中には

とうとう一度も出来ませんでした



一人でリハビリセンターに

公共の乗り物を利用して通院出来るようになるまで


何度も何度も一緒に私が付き添い


乗り換える場所や

乗り換えるバスの系統や

病院にリハビリの時間に間に合うように行くためには

何時のバスに乗る必要があるかとか


一人ではメモをとることも出来ないダンナ様に

一つ一つゆっくりと

本人が理解出来るスピードで

説明しながらメモの書き方まで教えました



一人で通院出来るかどうかを試した時

私は車で気付かれないように着いて行き

本人に気付かれないように

病院での外来窓口で

リハビリのファイルを受け取ったり出来るかどうか

ずっと見守っていました



依存性 がどれだけ

器質性精神障がい によって起きているものなのか

この先もずっと見極めなければならなくなります


私自身が意識していないところで

『もう一人の私』が作られていっていることに

気付き始めたのもこの頃かもしれません



妻として

夫だっだ愛する人が

一瞬にして子どもになってしまった


いつどの場で発狂してもおかしくない気持ちを抑え

私は時に医師として

時に療法士として

時にソーシャルワーカーをして

あらゆる面から

冷静にダンナ様を観察する

『もう一人の自分』を構築していきました




つづく。。。