いなり寿司の形は、関西では三角形。関東では四角形の俵型。

その違いは何かしら?とよく質問をいただきますので、現段階で分かっていることを書いておこうと思います。

 

 

上の写真1852年に発行された『近世商売尽狂歌合』には、

いなり寿司を売る商売人の姿が描かれております。

包丁が描かれているのが分かりますか?

「1本16文、半分が8文、一切れ4文」その場で切られ売られておりました。

 

江戸の約7割が男性で、単身赴任が多く、いなり寿司は当時も彼らの

 小腹を満たす食べ物でした。

 

 

そのスタイルに近いのが横浜馬車道にあります『泉平』さんですね。

1本と、半分にカットして売られております。

江戸の頃、販売されていたのは、現在の俵型や三角ではなく

このスタイルであったのでは?と私は考えております。

 

三角形は?

 

 

三角形の由来は諸説ありますが、私が好んでいるのが「お狐の耳の形」ですね。

その他にも、稲荷山の山容が三角だから、などがありますね。

三角型のいなり寿司の発祥は、伏見稲荷さんと言われておりますので

本来は稲荷山の形が最初かも知れませんが、私はお狐の耳が好き(笑)

 

 

東の四角(俵型)は、五穀豊穣の俵型。

稲荷信仰は、そもそも農耕の神を祀るものですから当然の形ですね。

現在、京都や大阪のお店では、縁起が良いので俵型にしていることが多いのです。

 

では、

東と西の境界を区切る場所は?

気になる所ですが、

お正月のお雑煮に入れるお餅の形が『四角か丸か』それを区切る境界線と

似ていることが判明したそうです。

いなり寿司の東西を区切る分岐点は

『富山湾から岐阜県関ヶ原を通り志摩半島を抜けたあたりまで』となります。