こんにちは、
どこかの富豪のオジサマが子供を産んでいない人は恥ずかしいと思えっと言っていたけれど、
こちとら年金払いがあるので精一杯の人生なんだよ。
世間知らずだな。
おぼっちゃまだから?
年金を踏み倒せた世代と違うんだよ。
真面目な人は、納付書がすっ飛んできたら、きちんと払うんだよ。
25年以上払わないと、一文たりとももらえないと書いてあったよ。
中途半端に払ってしまったので、焦ったよ。
リストラや時短が襲い来るのだよ。
全人生が薄氷を踏むがごとく、綱渡りをするがごとく、崖っぷちにいるかのごとく。
明日はきっと不幸。
明後日も明々後日も10年後も不幸。
そんなに子供を産みたいなら、子宮を移植して受精卵を内膜に着床させて産めばいいのに。
産道がなくても帝王切開すればいいし。
100回やれば100人の子孫。
切腹だと思えば、武士として本望でしょ。
金持ちなんだから何でもやりたい放題。なんでも願いが叶う。何でも金で買える。
大金を分けてあげればいい。
慶応か早稲田に押し込めば、人生楽々。
全員をコネで大企業に押し込めば全員が幸せ。
高額の月給。高額のボーナスでウハウハ。
子々孫々、落ちぶれることがない。
ま、金持ちほど怖いものがないから、落ちぶれることも平気。
幸せと金は、金持ちと商売人だけに訪れる。
下層は金持ちになろうとしてもいけないし、幸せになろうとしてもいけない。
奴隷は、奴隷ひと筋。
年季が明けるン十年後まで、奴隷。
奴隷は子孫を増やしても、子孫は下層。
常に、リストラと時短に備えよ。
★安藤広重って、下級武士だったんだって。
へぇ〜?
正式画号、歌川広重。
歌川広重説が現在では定説で、本人は安藤広重とは名乗っていなかったらしい。
あたしの脳内では、いつまでも安藤広重なのに〜!!
大化の改新といい、いつの間にかいろいろと変わっている。
聖徳太子はいなかった説もあるし、シェークスピアもいなかった説もある。
安藤家の重右衛門さんであることには違いない。
歌川豊広さんに弟子入りしたから、歌川なんだ。
安藤が本名で広重が号だから、一緒に使うことはないらしい。
27歳で家督を譲って、自由の民に。
早すぎひん?
27歳で引退って。
同僚の娘と結婚したのに、すぐに家督を譲って引退したもよう。
しかししかしよ、16歳で絵師デビュ〜だって。
16年しか生きていないのに、デビュー?
鼻たれ小僧の期間が10年くらいがあるのに!?
江戸時代に?
風景画のシリーズが売れたから、隠居して絵師になったんだって。
でも家督を譲った息子っていくつよ。
20歳で生まれたとしたら7歳だし。
これはない。
15歳でできたとしても、12歳だし。
これもないよね。
10歳で子供を作るなんてないし。
12歳に家督を譲るなんて、できたのかしらん。
元服は14歳以上だよね。
当時、親が良ければ、何歳でも元服ができて、家督を譲れたのかしらん?
10代の娘がいて、年の差結婚させた婿養子がいたら、
家督を譲っても、婿は大人だから十分にお勤めが果たせるけれど。
ウィキペディアによると、安藤家の男の子供に家督を譲ったけれど、
ガキンチョだったので、15歳になるまで自分がお勤めをしていたようよ。
昭和の末期に安藤広重が画号ではなく歌川広重が画号ということになった。
斎号というのも、歌川派にはあったらしい。
変換が面倒なので書かないけれど。
なんとなんと、安藤広重は定火消しだったのだ。
火消し同心だって、カッコいい!?(笑)
火消し屋敷の同心(同心=下級武士)。
おとうさんちは弓術師範だったけれど、お父さんは3男だったから幕臣の安藤家に婿養子に。
時代劇では時々こういう(婿養子のシステム)が登場する。
(by ウィキペディア)
ま、町人の火消しがいるから、指示しただけかな?(笑)
火消しの仕事をしながら、絵も描いていたらしいよ。
版画の下絵なら、色はつけないし、墨でちゃちゃっと書いただけ?
傘張りや竹ひご細工の内職よりかは、マシかな(笑)
同じ職場にもう一人絵師がいたんだって。変換するのが面倒だから書かないけれど。
いつの時代も、下層は副業に忙しい?(笑)
三十俵二人ぶちで家族を養うために、必死のパッチ。
山中に住んでいたんじゃないのよ。
江戸のど真ん中よ。
参勤交代で田舎に帰らなくてもいいのよ。
ずっとずっと跡継ぎが絶えない限り、江戸のど真ん中に住めるのよ。
立身出世ができるのは、江戸在住者と商人の子孫だけ。
運の良さは、先祖代々子々孫々、受け継がれる。
あぁ、またまた1日分が埋まったわ。