○きっかけ

 ミュシャのことを調べていくと、必ず「スラヴ叙事詩」の絵を目にする。栃木市立美術館でも全20作品の複製を見ることができた。今回は「スラヴ叙事詩」がミュシャにとってどんな作品なのか調べていく。

 

※このブログは私なりにネットや本の情報をまとめたものです。私自身は美術や歴史の専門家ではないので、ふんわりした理解になっています。悪しからず。

 

○ヨーロッパのスラヴ人

 

 ヨーロッパは現在でもいろんな民族が存在する。すんごく簡単に言うと、「ヨーロッパには国もたくさんあるし、その国の中にいろんな民族が住んでいる状態。」つまり、○○国は○○人の国とは簡単に言えない状態にある。

 「スラブ叙事詩」のスラヴとはヨーロッパに住む民族の一つ「スラヴ人」のこと。しかしながら、スラヴ人は複雑な事情を抱えており、自分たちの国を持つことができず、他の民族の支配下にあったり奴隷とされりする歴史を多くもつ。一説によれば奴隷を表す英語の’slave’とはスラヴが語源なのではないかとされている。

 

 ミュシャが生まれた地域(現在のチェコ)では、スラヴ人が多く住んでいる場所だった。しかしながら、当時はオーストリア帝国領とされ、ゲルマン人の支配下にあった。ミュシャが生きた時代というのは、ゲルマン人の支配下にあるスラヴ人が団結して、復興しようという気風が高まった頃であった。

 

○スラヴ叙事詩に描かれているもの

 

 ミュシャが50歳の時に、活躍していたフランスを離れ、故郷のチェコに戻ることを決意する。この帰郷は「スラヴ叙事詩」を制作するためである。制作には18年もの年月が費やされた。

 

 「スラヴ叙事詩」にはスラヴ民族の伝承や神話、歴史が描かれている。叙事詩とは歴史的事件や英雄の伝説を吟遊詩人が歌い上げることを意味する。ミュシャは絵画によってチェコの伝承を表現することで、詩人のように人々の民族意識を鼓舞しようとしたのではないかとされている。

 

 「スラヴ叙事詩」制作中にチェコスロバキアとして独立を果たす。そのため、当時この作品はあまり注目されなかったという。

 しかしながらその後のヨーロッパ情勢はさらに混沌を極めるものになっていく。ナチス・ドイツによってチェコスロバキアは解体されてしまう。晩年のミュシャは「絵画がチェコ国民の愛国心を刺激する。」という理由でドイツ軍に逮捕されてしまう。この出来事が大きな負担となり、ミュシャは釈放の4か月後に亡くなることとなった。

 

○ふりかえり

 スラヴ人の歴史はなじみが薄く、正直ピンとこない。しかし、「スラヴ叙事詩」に描かれている民族、神、戦争、平和というモチーフは誰にとっても普遍的なものであると思う。だからこそ、今もなおこの作品が高く評価されているのだと思う。

今日で栃木市のミュシャ展も終わってしまう。2回足を運ぶことができてよかった。

 

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