3月末に友人のカナダ人比丘ビベカの日本に訪問して以来、様々な変化があった。

 

 

4月は職場が変わったことで家を引っ越し、8年ぶりに英語を教え始めた。

そこは視覚に障害のある生徒の通う学校で、中高生とのおしゃべりも久しぶりだった。

 

8年前は親戚のお姉さんのような気持ちで生徒と接していたが、今は親戚のおばちゃんのような気持ちだ。

何年この仕事をしても、どうしても自分を先生と思うことができず、とにかく生徒たちが可愛くて、先生としての振る舞いよりも素が出てしまう。

生徒数が少なく仕事にも余裕があり、また久しぶりに英語を使う仕事ができることを、とても嬉しく思っている。

 

ミャンマーの仏教大学や香港の大学院での勉強や、様々な場所で出会った友人たちのおかげで、8年前より英語が上達したと感じる。

その自信や色んな経験が、今の仕事の楽しさにも繋がっている。

 

全盲の生徒を教えるために点字を学ぶことは必須で、四苦八苦しつつ新たな文字を覚えている。

 

 

毎日定時に帰れるようになり、心に余裕ができ、本を読むことも増えた。

 

最近たまたま出会ったヤマザキマリという漫画家・作家の本がとてもおもしろい。

ローマ人と温泉の「テルマエ・ロマエ」というマンガの作者だが、私は彼女自身や母親、息子の人生を書いた本(漫画ではない)を読み漁った。

彼女の海外でのぶっ飛んだ、ある意味突き抜けた人生を読むと、会った事もないが他人とは思えない。

 

今日は彼女がしばらく住んだキューバについてのマンガを読んだ。

自分が大昔のキューバの旅で感じたことや、疑問に思ったことの答えになるようなことが出てきて、あの旅と長い時を経て今この瞬間繋がった気がした。

今のキューバが見てみたい気もするし、記憶の中のキューバのままにしておきたい気もする。

 

 

他にも変化があった。

 

4月にビベカ比丘がカナダに帰ってから、私たちは毎月第1,3日曜日に、オンラインで日本語のマインドフルネス練修会をスタートさせた。

 

ビベカ比丘が日本に滞在中、1日だけのマインドフルネスリトリートを開催した。


「参加者が自分で練修を続けていくために、何かできることはないか」


リトリート後、ビベカ比丘からの提案で、マインドフルネスを続けていくための場所としてオンラインの会は実現した。


私はおぼつかないながら、日本語通訳をしていて、毎回何かしらの誤訳を後で発見し反省している。

通訳は想像以上に大変で、ビベカ比丘には話す文の長さ等色々と配慮してもらっている。

 

たった1時間の練修なので、日本語か英語が分かれば世界中から誰でも、気軽に参加ができる。

最近はカナダやミャンマーからも参加者があり(日本語を話せる人)、この多国籍感が心地よく楽しい。

 

日本人一つとっても様々なバックグラウンドの人たちがいる中で、こうやって「いまここ」で、生きている命そのものとして出会い、皆と共有するその時間・空間は、何か特別なものに感じられる。


ビベカ比丘が書いてくれた、フランス語で、
"écoute pour voir"
"Listen to see (見ることを聞く)"