これは2021年2月1日の記録。

2月1日(月)朝9時半、通常ならオンライン授業がある。でもミャンマーにいる先生や生徒が現れない。Zoomは終了。
今日は授業がない日なのかな、でも連絡なかったな、と思う。


その約一時間後、アウンサンスーチー氏や大統領が拘束され、軍によるクーデターが起こったと知る。
ミャンマーにいる友人たちに連絡したが、まったく連絡がつかない。
ただ事じゃないな、と思う。だから授業がなかったんだ。

唯一、自分が日本語を教えているミャンマー人と連絡が取れた。ほっとした。一体どうなっているのだ。
彼は開口一番、「本当に最悪です。」と、ゆっくり言った。
起こっているらしい深刻な事態に、「本当に最悪。」という若干カジュアルな響きが似つかわしくなく、ちょっと可笑しかったが、これが彼が持っている日本語の中で今の落胆した気持ちを表す最大限の言葉なのだと理解した。

 

午前11時の段階で、全て電話と携帯のデータ通信、テレビニュースが止められ、いくつかのwi-fiの会社だけは辛うじて止められないまま残っていた。彼がwi-fiが使えたことで、私はミャンマーから大丈夫だという声を聞くことができた。

彼は元々政治について話すのが好きで、先週の日本語会話練習のとき、ミャンマー軍のトップによる不穏な発言等について話してくれていた。私はその時何のことかよく分かっていなかったが、クーデターが起こった今、それに関するのニュースを読んでやっと意味が分かった。

 

ネットで情報を集めた。何が起きているかよく分からない、という状況が、心を落ち着かなくさせるようだ。
昼になり、和尚さんやたくさんのベトナム人たちと手作りラーメンを食べ、今のミャンマーの状況を共有し、少し心が落ち着いた。(現在日本でお寺に滞在させていただいている。)

 

午後から、少しずつミャンマーのネット状況がよくなり、友人たち連絡がつくようになってきた。とてもショックを受け、悲しんでいた。


一番の友人と連絡がついたのは夜8時ごろだった。
彼女によると、朝は若干パニックはあったが、今はもう落ち着いていて、ヤンゴンの街もデモや暴動等ないということだった。彼女の普通と変わらない様子に、やっと私も心から安心することができた。もし暴動やデモのニュースがあったとしても、それは軍がお金を払って雇った人たちがやっている自作自演だから、絶対に信用しないこと、軍は注目されたいだけで(存在感のアピール)、ミャンマー人はみんな知っているから、日本人にも信じないようにと伝えて、と言われた。

2月2日現在、まだ軍と民間人が衝突したり、大きなデモをやっていたり、というニュースはない。




2016年からミャンマーに住んでいた自分には、ミャンマーの一般大衆と暴力、というのはなかなか結び付かない。部屋の中がアリだらけでも、ネズミが走っていても、駆除しよう(殺そう)と努力しているミャンマー人を見たことがない。いつも鳥(スズメ、鳩、カラス)や野良犬に餌をあげて喜んでいる。若者は年長者を敬い助ける。あんな無邪気なミャンマー人たちに、暴力はどう考えても似合わないし、向いてないなと思う。

平和的解決を強く望む。
そのために私たちは、忍耐、慈悲、そして智慧を育む必要がある。
「嫌悪」で「嫌悪」に打ち勝つことは決してできない。

 


おわり