一年前の今頃は、インドのSavatti (Sravasti、祇園精舎)にいた。奇跡的なめぐり合わせで、ミャンマー寺(ラカイン民族)に一週間くらいお世話になった。

あの時、一年後ミャンマーにいて、しかも勉強しているなんて1ミクロンも想像していなかった。


縁、あるいは起こるべきこと、というは、どうしたって起こるのだ、と言うのが今年自分が経験から学んだ一番大きなことだったかもしれない。

意志というのは、事が起きる原因・条件の一つではあるが、その意志がないところに意志以外の全ての条件が整っていて、意志さえ生まれれば条件が揃い事が勝手に動き出す、ということもあるのだ(あったのだ)。

逆に言えば、意志だけあっても他の原因・条件が揃わなければ、事は起きない。



私は、ミャンマーを愛しているし、この国で出会った世界中のお坊さん・尼さんと呼ばれる人たちが好きだ。

周りにはたくさんの若いお坊さん・尼さんたちがいる。私が彼らを好きな理由はたくさんあるけれど、ひとつには人は出家すると、性別や年齢等の概念がなんとなくぼんやりとしてくる、という側面がある。するとなんとなくみんな子供だった時のような感覚、ただ在る、という感じになる気がする。それはとても心地いい。


いや、もう少しきちんと出家者たちの素晴らしさを書いた方がいい、、気がする。
でも書ききれないからやめておく。(ことにする。)

出家者には素晴らしい人もいれば、そうでもない人もいるのはブッダの時代から変わらない。
素晴らしい人に出会えるというのは、幸運だ。



そのうちいつの日か死を迎えるとき、この記憶を抱えて死ねることは、自分にとって幸いである。
でもまだ生きているから、その限りは努力する。

一年後の心も、見たいのだ。


今年も、ありがとうございました。