初めてインドを旅したのは2008年で、10年ちょっと前になります。あれから長い月日が経ち、インドは、全く違う国のように心に映るのです。
カトマンズからデリーへ降り立ち、メトロでニューデリー駅へ。駅を出て、あぁ、インド、という光景。
心は穏やかでした。たくさんのリキシャドライバーが声をかけてきますが、私は目的地まで歩く、歩く。心はほとんど揺れない。
"Be equanimous towards all formations!"
(全ての構成物に対して平静であること!)
ルンビニで毎日毎日サヤドー(ミャンマー語で師となる僧侶の意)から言われ続けたこの言葉のおかげです。
好ましいものに執着せず、好ましくないものを拒絶しない。条件付けられた心の自動的な反応に気づき、バランスを保つこと。。。サヤドーに感謝です🌈🌈🌈
デリーでやりたかったのが、一番上に着ているお袈裟を作ること。ぴったりの布が見つかった。運良く近くにテーラーが見つかり、半分開いた扉から中を覗くと、一人の男性が仕事をしていた。
「すみません、この布で、この今着ているこれを縫って欲しいのですが…」
初めはノーと言われてしまいましたが、「ただ周りを縫うだけで、簡単なので!」とお願いし、渋々承諾してくれました。
明日できてればいいなぁと思って頼んだつもりが、彼はその場で作り始めました。
職人気質の方で笑顔も言葉もありませんが、私が身につけていたものを見ながら手早くカットして縫い、サササーっとアイロンをかけ、あっと言う間に完全✨
まさにプロフェッショナル。美しかった。

はい、と縫いたてのお袈裟渡されので、「いくらですか?」と尋ねると、彼は首を横に振り(いらないということ)、元していた仕事に戻るのです。状況を理解するのに少し時間がかかったけれど、私は自分がサヤレー(ミャンマーの尼僧)であることを思い出しました。
つまり彼は、初めから、見ず知らずの外国人の尼僧のお袈裟を無料で縫うつもりで、引き受けてくれていたのです。(おそらく仏教徒ではない人)
私が財布に入っていた240ルピーを彼に差し出すと、またいらないと。どうしても受け取って欲しいと言うと、彼は100ルピーだけ取って、私に手を合わせ、少しだけ笑った。そしてすぐに元の仕事に戻った。
心が静かな喜びでいっぱいになる。純粋な心ほど、私を幸せにするものはない。
こんなふうに、淡々と、しかし美しく生きている人がインドにはいる。彼はきっと、自分が善を為していることに全く執着もしていない。誰に褒められるためでも、認められためでもない。ただ生じる善心に従っているだけ、という感じだった。
私が願う必要もなく、彼には善の果が訪れることになる。きっと世界中には、名も知らない、美しい心の人がたくさんいるんだろう。
続く