新たな一歩 | フィギュアスケート応援(くまはともだち)

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氷上で華麗で過酷なスポーツ。
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羽生結弦選手の演技で涙がこぼれます。
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希望を胸に抱けるような作文をご紹介します。2007年に当時中学1年生の羽生結弦選手が書いたものです😌有名なのでご存知の方も多いかもしれませんが、今、読みたい。なんだかガンバるきもちが湧いてくる。そんな作文です。

2007年野辺山合宿

新たな一歩 七北田 羽生結弦(中1)

「やっと着いた。」

僕の夏休みは、毎年この言葉から始まる。

今年も夏休みに入ってすぐの七月二十四日、全日本有望新人発掘合宿に参加した。この合宿では、毎年、日本の各地のフィギュアスケーターが集まり、全日本選手権のシードを決める。合宿の中でも、かなり大きな合宿だ。この合宿は長野県の野辺山という所で行なわれる。車で行くと約十時間もかかる。だから毎年、無意識に「やっと着いた」と言っている。そして、今年もこの合宿での四日間、いろいろな出来事があった。

合宿一日目、受付を済ませて、自分の部屋へと向かった。ドアを開けたときにはもう、すでに到着していたライバルたちが準

備をしていた。

「遅かったなあ。早く準備して行こうぜ」

 僕もすぐ部屋に入り準備した。そして皆で開講式に向かった。開講式では、スケジュールや合宿のルールについて話された。予定よりも早く開講式が終わり、次は氷上練習だった。久しぶりに見た皆の滑り、皆やっぱりうまくなっていた。ぼくは負けてたまるかと思いながら練習した。次は測定。測定は2回ある。1回目の測定では、持久力は5分間走で測定して、瞬発力は50メートル走で測定する。5分間走では、5分間で何メートル走れるかで、どちらとも1位になったことがないのでがんばりたいと思った。

50メートル走が始まった。僕の順番は一番最後だった。でも、すぐに順番がまわってきて、僕は走り出した。スタートがうまくいった結果、記録は7・85秒。まあまあの結果だった。そして、5分間走。僕は緊張と不安でいっぱいの中、スタートを切った。

しかし、僕の様子を見ていた父が、

「ゆづ、がんばれ。」

と応援してくれた。この父の言葉で僕の緊張と不安はどこかに行ってしまった。そして、「がんばるぞ。」というやる気が湧いてきた。そんな気持ちで必死に走っていたらいつの間にかあと残り1分間になっていた。そして「あと30秒」をカウントされたとき、一瞬で体が軽くなり、最後まで精一杯走り切ることができた。あっという間の5分間だった。気がついたときには、体が倒れそうなぐらい疲れていた。記録は1260メートル、結果は2位、1日目は、残念ながら1位はとれなかったが、自分なりに結果が残せたと思う。

 合宿3目目、この目は、エレメンツ演技とフリー演技会がある。エレメンツ演技とは、決められたジャンプ跳び、ステップ、スピンをやり、どれほどジャンプが高いか、どれほどステップが正確か、ジャッジの人たちに、どれほどスピンが美しいかを見てもらい評価される演技だ。フリー演技は、試合と同じである。試合と同じように曲をかけて音に合わせて課題を演技する。この二つでほとんどシードが決まると言ってもいいぐらい重要な課題だ。だから皆、この日になると無口になる。それぐらい緊張するのだ。

この日になって皆、時間が止まってほしいほど緊張するが、時間は刻一刻と進んでいく。そして、エレメンツ演技1時間前となり、僕たちは部屋を出た。リンクに着くといつもはもっと緊張するが、今回は違っていた。緊張するよりも「いつもよりも練習がんばってきたんだから」と自信が湧いてきたのだ。

 そして本番、「いつもどおりやればいいんだからね。」と言うコーチの一言で、もっと気合いが入った。ジャンプ成功。自分でもきれいにできたと思う。最後のスピンは、ちょっとぐらついたがまあまあだった。次はフリー演技会。これこそが本当の意味での本番だ。僕は、初めての曲で挑む。エレメンツよりも早く出番が来たように感じた。フリーの曲の長さは3分30秒。ただ走るだけでもつらいのに、ジャンプやスピンが入ってもっと疲れる。さらに野辺山には、もう一つ疲れる要素があった。それは酸素の量。野辺山は標高がかなり高いので酸素の量が少ない。このつらい状況でもやらなければならない。だが、皆同じ状況でがんばったのだからと思うと気合いが入った。そしてスタートの位置についた。

曲が鳴り始めた。一番最初の課題だったジャンプを失敗してしまったが、もう一つの課題のジャンプはかなりきれいに跳べた。そのあとのジャンプも、後半はつらかったが順調に跳べて、何とか踏ん張った。会心のできだったのでかなりうれしかった。曲が鳴り終わりコーチのもとへ帰ったときにすごくほめてもらったし、喜んでもらえた。体力という課題が残ったが、言葉にできないぐらいうれしかった。

そして4日目、スケート連盟の方からのシード選手の報告があ

つた。

「羽生結弦君」と僕は、一番最初に呼ばれた。とてもうれしかった。また、一つ上のクラスのトップスケーターたちの合宿があり、それに引き続き出してもらえる。もっともっとうれしくなった。

この合宿の氷上で、僕は新たな一歩を踏み出した。


宮城県優秀作文集より抜粋 

※横書きにするため数字の表記変更


2007年野辺山合宿


2006年野辺山合宿


この作文は2007年の夏。中学1年生の羽生結弦選手が書いたものでした。小説を読んでいるようなきもちになります。息遣いや心情などもリアルに響いてきます。自信を持って臨んだのは「それだけ練習してきたから」その言葉から感じる姿勢は、今の羽生結弦選手とまったく変わることないように思います。


中村康一カメラマンさん ソース

2004年全日本ノービスBで優勝直後、12月にホームリンク(七北田小から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖。離れたリンクでは練習時間が思うように取れず仲間はスケートをやめていく中、2006年に都築コーチは横浜へ移籍。そして2007年3月アイスリンク仙台としてかつてのリンクが営業を再開。阿部奈々美コーチの元野辺山合宿に参加し、2007 - 2008シーズンは全日本ノービス(Aクラス)で優勝。まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位に。


中村康一カメラマンさん ソース

ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初という快挙を上げた、そんな夏の作文でした。出典Wikipediaより

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羽生結弦選手について書かれた作文もご紹介します


ステキな作文🥹少しでも明るい明日へ

繋がりますように✨

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