IFSマガジンにヴィンセント選手の
ロングインタビュー掲載されました。
ヴィンセント選手はニースの演技を見て羽生結弦選手にずっと憧れてきました。移民してきて、スケートのために、お母さんがヴィンセント選手。お姉さんはお父さんとと家族は別れて暮らしてきました。両親の苦労を見ているから、成功したいとがんばっています。ですが困難がたびたび起こり、インタビューを読んでいて切なくなりました。ですが、最後まであきらめない姿を見ると、心から応援したくなります。
パソコンからだと公式ページは日本語訳あります。
ざっくりと分かる範囲で一部抜粋し意訳します。
参考程度に💦💦
ヴィンセント・ジョウにとっては激動の1年といえるでしょう。
世界選手権2019で表彰台へ初めて上がり、銅メダルを獲得した勢いを持って次のシーズンへ向かおうと、夏に準備をする「はずでした。ですが怪我やブラウン大学の入学準備のために、計画を断念することになりました。
2019年新しい年を迎え、ジョウは最高記録をだしました。全米2位入賞したことで世界選手権の切符を掴み、厳しい闘いの末3位入賞しました。その1か月後国別対抗戦のために日本に戻ってきました。
アメリカに帰国後、スターズオンアイスツアーに参加。4月下旬に行われたニューヨーク公演の演技中にジョウは転倒し左膝後十字靭帯の一部損傷。2ヶ月間自由に動けない日々が続きました。
7月、大阪にいる濱田美栄コーチと仕事をするため日本へ行く予定でした。7月下旬と8月上旬に日本のツアーに合わせていました。そしてショーの最後に、ジョウは肩を脱臼しました。それから1か月以上氷に乗れませんでした。
そしてコロラドスプリングスにある練習拠点に戻ったのは、大学に行くわずか10日前でした。
「毎年夏になると、去年の夏よりもましだと自分に言い聞かせていますが、こんな状況に思いもよらず驚いています。自分に喝を入れて進んでいかなければいけなかったけれど、むずかしかったです。」
ジョウはブラウン大に入学後、アイビーリーグで必要とされている厳しいカリキュラムに取り組む準備ができていました。
また、リンクでしっかりトレーニング時間を確保できるようにスケジュール調整できると確信していました。ですが慣れ親しんだレベルでトレーニングするために必要な環境がロードアイランドでは利用できないとすぐに気づきました。
ミーハンオーディトリアム(ブラウン大のリンク)で利用できる氷上練習時間はほとんどないか、まったくないかでした。
練習できたとしても「氷が薄すぎてトゥの先がトリプルルッツで砂に当たってしまう。ジャンプが氷に損傷を与えると不平を言う何人かのホッケーコーチもいました。なかなか合わせることができませんでした。」
ジョウは、新しい環境に適応する以外に選択肢がなく、少なくともエリートアスリートに必要なレベルを維持するために、オフアイストレーニングに依存し始めました。
「ブラウンのメインジムは寮から離れすぎていました。近くに小さなジムがあったので、そこを利用しました」とジョウは語りました。
「オリンピックトレーニングセンターのトレーナーとFaceTimeをしました。トレーナーは、すべれできているか確認するためのやり方を伝えてくれました。」
オフアイスでのトレーニング計画は立てましたが、リンクで練習できる場所を見つける必要がありました。当面の考えとしては、ボストンのブラウンキャンパスに近いことから、ボストンのマーク・ミッチェルとピーター・ヨハンソンに協力をしてもらうことになりました。 「通い始めましたが、それは本当にたいへんでした」とジョウは思い出して語りました。
「あちこちに行くたびにラッシュアワーにぶつかります。毎日の往復で4時間ほどかかりました。本当に大変だったので、やがて他のリンクを探し始めましたが、必要なものはキャンパスから約40分以内でした。」
定期的な練習ができていないままジョウは2019年9月ソルトレイクシティで開催されたスU.S. International に出場しました。準備が整っていない中で試合に参加し3位となりました。大学に戻ったとき、ジョウは道から外れているのを感じました。学校とスケートのバランスを取るのは大変なことになることはわかっていましたが、普通の生活に戻ればすべてがうまくいくと期待していました。そしてブラウンで大で初めての学期が終了する頃には、スケート競技の後半をパスすることにしたのです。
「いつも練習できるリンクを見つけることはむずかしく、スケートと大学、それぞれの目標を分けることも難しかったんです」とジョウは話しました。
10月、ジョウは研究に専念するため2つのグランプリを欠場すると発表しました。今後は2020年の全米選手権に合わせて練習再開することを希望し、新しい練習拠点を探し続けていました。濱田コーチがトロントのリー・バーケルがぴったりかもしれないと言い、ジョウは選択肢として考え始めました。
「大学時代が変化の時だと思っていました。何か新しいものが必要でした。信頼できる人からリーはとても良いと聞いていたので、試してみることにしました。感謝祭の休憩中にトロントに旅行し、ローリー(ニコル)と一緒に練習し、将来の計画について話し合うためにバーケルと会いました。」
全米選手権2020の3週間前にトロントに到着しました。そしてもちろん、ジョウは全米の準備ができているか自信がありませんでした。 「本当に怖かった」とジョウは認めました。
「行動を起こすことは大きな一歩でした—それは未知の世界に足を踏み入れるようなものでした。近い未来、またはずっと先の未来に何が起こるかはわかりません。全米に出場できるかどうかさえわかりませんでした。」
バーケルによると、ジョウ一緒に仕事をして最初にしたことは、ジョウの練習習慣を評価し、体調を回復することにどれだけ熱心であるかを理解することでした。バーケルはジョウを観察していて真剣さに感銘を受けました。
その後、バーケルは、ジョウが現時点の能力を超えたジャンプを慌てて跳ばないようにする練習計画を作成しました。時計が動き出しました。ジョウの進行状況と状態で練習計画を調整することにしていきました。
ジョウはバーケルがたてた計画よりももっと先のレベルへ行きたい時もありましたが、バーケルの指示に従うことが重要だと信じました。
「最近得学んだのですが、練習をやりすぎないようにすること。多分、これまでに多く怪我をしてきた理由がこれです。」
全米選手権が迫る頃、ジョウは十分な準備ができていると思いました。バーケルを伴って全米選手権が行るるノースカロライナ州に向かいました。 「こんな短期間で全米の準備ができるということは、誰でもできることではないんです」とジョウは言いました。 「時間はなかったですが、演技の見栄えがよくなるよう最善を尽くしました。」
ジョウは大きなミスを犯さずにすべての技術要素を認定させました。練習時間不足にもかかわらず、SPとフリーの両方で4回転サルコウをし、結果は4位。2020年世界選手権代表の座をつかみました。