風穴山1680m地点で「越年氷」を確認  2 | 田舎のあれこれ

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そんなんで、新旧の地図を再掲。
風穴山が1,972mとなっている大正末期頃の1/20万の「飯田」の地図から。
それから2,058mとなっている昭和61年の1/2.5万の「南木曽岳」の地図から。
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飯田市が未だ「飯田町」になっています。
飯田市街から北進する道は今の県道と高松通りを下り元善光寺前を通る道があり、今の国道はありません。
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ここで、摺古木山のいちに注目しますと
ともに、かっての3町村の境界線に位置しています。名前もカッコ書きで三又山とあります。
しかしその標高は地図から2,130mくらいです。
何故相違したのか寡聞にして無知なためわかりませんが大胆に想像すれば
三方から見える山を皆が共通に三又山、なぜか摺古木と呼んだのでは。
しかし山に登る機会も増えるとその近くにもう少し高い山があり
そこを摺古木として三角点を築いた・・・
ずいぶん乱暴な考えでした。どなたかお教えいただければ幸いです・・・