◆雨の朝である。でもじっとはしていられない。畑に向かう。

 

 

  ◆プール池で今年最初の睡蓮の花が咲いた・その花を、じっと眺めている蛙・・・右の隅である、見えるかな。

 

 

  ◆午前中着ていた衣類はズブ濡れ。ランチで上がってすべてを着替え、午後から荷造りにかかる。キャベツに青虫がくっついている。50ほどのキャベツが並んでいるが、青虫が付いているのは3つだけ。そいつを外葉とともに取り除き出荷する。半年ほど前か、ふるさと納税のお客さんで(青虫ではなく)小さな虫がついていたとのクレームが来たことがある。僕は念入りにやっているつもりだが、時にはそういう失敗もあるらしい。申し訳ありません・・・そうお詫びの連絡を入れたのだが、正直、ちょっと気持ちがちいせえなあ・・・という気がした。

 

  ◆雨はどんどん激しくなる。でも荷造りのあとにやるべきこと2つ。まずカボチャのハウスの拡張。ハウスはかなり大きいのだが、それでも伸びたツルが行き場を失っている。新たなパイプを立てて幅を2メートルほど広くした。もう一つはトマトの雨よけ設置。左下のトンネル部分にトマトとキュウリがある。このトンネルを間もなく撤去し、2メートルの高さにビニールを張ろうというわけだ。すでに雨はパンツの中まで浸みこんでいる。でもこの仕事を片付けてしまえばうまい晩飯が食える。今日も薄暮の中で晩酌した。雨に打たれる庭の緑がきれいである。

 

 

  ◆雨の中で奮闘しながら思い出したのは、昨夜9時から見たNHKスペシャル「福島のモノローグ」。2011年。福島県富岡町。住民たちは避難指示に従い町を出た。しかしずっと残った人がいる。動物を見捨てて出るなんて、死なせるなんて、出来っこないよ・・・その男性は町に残り、友人・知人の飼っているものまでを引き受けた。馬、牛、豚、シチメンチョウ、犬、猫。東電からの補償金は受け取らなかったという。動物たちの餌は自分の金でまかなったという。除染が終わった田んぼで再びコメ作りを始めるという場面がある。田んぼの除染とは、表面の柔らかい土を削り取ってよそに運ぶこと。埋め合わせとして新たな土を入れるのだが、業者の作業は後のことにはおかまいなし。大きな石が無数にある。それを拾い集めながら、インタビュアーの「やれそうですか、またコメ作りが」という問いかけにこう答えたのだ。「やれるだろうか、どうだろうか・・・そう思っているうちはやれないものだよ」。僕もふだん同じような思考で日々の仕事に取り組んでいる。やれるかやれないか、考えるよりも先に体が動く。でも、富岡のあの男性の行動力には僕なんぞ遠く及ばない。思えば、世の中には「言葉」が溢れている。同じ福島で脱サラ農家の道を原発事故で閉ざされたという人を僕は知っているが、彼は地元の農家だの、行政だのに対して悪口雑言を投げつけるが、昨夜のテレビの男性のように復活のための行動に出る様子は何年たっても微塵もない。大切なのは言葉ではなく行動である。昨夜1時間、息を詰めて僕はテレビを見つめた。コメは無農薬でアイガモ農法だった。動物を含めた自然の生き物すべてに対する彼の愛が感動的であった。