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■朝から快晴。明日はさらに好天との予想だ。全国がお日様マークで覆われるのは何十日かぶりのことだそうだ。風はまだまだ冷たいのだが、お日様いっぱいの朝は幸福感が満ちる。満開となったサクランボの花。その向こうに広がる真っ青な空。シアワセ・・・このサクランボ、放任すると枝が際限なく増える。幹の内部に陽があたらなくなる。桜切るバカと言うが、えい、オレはバカになってしまおう。昨冬、三分の一くらいの数の枝を切り捨てた。花の勢いが例年より良いと思えるのはそのせいか。それともただの思い込みか。

■この青空がチャボたちも嬉しい。ほぼ全員、穴を掘って土に埋まり、砂浴びをしている。ではやるか。ジャガイモの植え付け、最後の品種キタアカリ。粗起こしはすでにしてある。そこにカキガラ石灰を投じ、あらためて鍬を入れ、草を取る。今日いっぱいは土をよくお日様に当てて、植え付けは明日にしよう。


■パック2。三枚目の写真はホウレンソウを収穫しているところ。草丈10センチ足らず。播種から35日。お客さんにはサラダで食べていただく。肥料は炭と灰だけで育てた。アクはゼロ。若いということと、炭と灰が肥料ということ、この相乗作用でサラダにぴったりのホウレンソウが出来る。アクが強いのは窒素分過多を原因とする。とりわけ化学肥料がもたらす窒素が「えぐい」ホウレンソウにしてしまうのではないかと僕は考えている。

■食べるということに関して、ふたつのことを書く。まず今日の夕刊「私の収穫」。そこで作家の黒岩比佐子さんが「食育の先駆者」という文章を書いておられる。それによると、明治時代、新聞小説界で絶大な人気を誇った村井弦斎という作家がいて、その単行本『食道楽』がベストセラーとなったらしい。そして黒岩さんはこう書いておられる。



この『食道楽』には「食育」という言葉が登場する。知育や体育は大事だが、その根源は食べ物にあり、食育のほうが大事だと弦斎は指摘している。また、夫婦和合の妙薬は夫と妻が協力して料理を作ることだ、と勧めている。「男子厨房に入らず」の時代に、こんなことを書く人がいたとは!!


■このあと黒岩比佐子さんは2005年に成立した食育基本法のことに触れるのだが、「食育」という言葉は近年のものかと思っていた僕はビックリ。かつ、知育、体育より食育のほうが大事という村井弦斎の意見に、はたまた夫婦和合の妙薬がともに台所に立つことだという意見に僕はいま敬服する。何でも食べる、きちんと食べる、その後に初めて知育、体育がなされる意味がある・・・僕も前からこう考えている。いいかげんな食生活では体育の効果も半減するし、知識・知恵の世界も常に当人のどこかが具合悪いようでは人生において、十分にその能力を発揮することが難しい。


■二人して台所に立つという体験。かつてタマチャンの別荘に泊まった翌朝の朝食つくり以外、僕にはないが、自分が作った野菜を料理しておなごに食べさせるということは好んでする。たいていの女はもう飽きるほど料理をしてきたはずだから、たまに男から上げ膳、据え膳の扱いをしてもらうのが嬉しいのだ。そして何より、手料理を前に、女と男がワインを飲み、健啖、爆笑、時に、しんみりするのはけっこうセクシーでもある。ものを食べている女の唇はなまめかしい、そう書いたのはなんという作家であったか。男と女の和合は、たしかに、高級レストランのイタめし、フラめしも悪くはないけれど、手料理の世界から「近接の味わい」が生ずるのは確かなことであろう。


■食べることの話題、ふたつめは「さゆり」さん。ただし、最近書いた吉永小百合さんではなく、歌手の石川さゆりさん。僕は前からこちらの方の「サユリスト」なのだ。そのさゆりさんが「石川さゆり哲学」という朝日夕刊連載の記事でこう語っている。


わたし、食べることが大好き。人間は食べ物で体が作られて動くんだから、食を侮るなかれと思うんです。食べるというのは、おなかを満たすだけでなく、その人の暮らしや価値観、感性を表す行為。食を粗末にすると、親から子へのつながりも消えてしまうと思います・・・。


■そうそう、まったく異論のない意見。僕はますますさゆりさんが好きになった。貧すれば鈍するという言葉があるが、この場合の貧とは、必ずしも暮らしが貧しいということではなく、食への感受性が貧しい、ひいてはいいかげんな食生活から身体に支障をきたすことではないかと僕は思う。


■話は変わる。かつて、僕がソ連・ロシアという国に関心を持ったのは、そこでの文学や音楽の好みであると同時に、社会主義という国家体制が人間をどう変えるかという点に興味があったゆえだ。皆さんも中学の社会科教科書で記憶にあるだろうが、コルホーズ、ソホーズ、あれは人間を、農民をシアワセにするものなのかどうか、僕はずっと考えていた。だから、1991年、1カ月のロシア語学習でホームステイしたとき、ホストであり先生でもある元大学教授のバレリーが、授業が終わったらどこに行きたいかと聞いたとき、僕は真っ先に「国営農場の栽培現場が見たい!」と答えたものだ。


■今日の朝刊に「キューバ国営食堂 財政難で廃止へ」「革命・平等の象徴崩れる」という大きな扱いの記事を見た。僕はキューバという国にも、行ったことはないが大いに関心がある。大学時代、キャンパスの壁にはゲバラとカストロの写真が溢れていた。革命の英雄フィデル・カストロは身内にも愛想を尽かされ、アメリカに亡命された。そのときのカストロの言葉「去りたいものは去ればいい・・・」は、革命家らしい強さとともに男の哀しみも感じさせ、この言葉に触発された僕は『続百姓志願』にカストロの一項目を加えた。


■キューバの財政難は、相次ぐハリケーンによる被害と世界同時不況による観光収入の低迷からだと朝日堀内隆記者は書いている。その結果、これまで350万人という人に、日本円にして5円という定食を提供してきた「労働者食堂」が廃止になる。キューバもすでに格差社会になっていると堀内記者は書く。ドル所有が解禁され、ホテルの従業員などは外国人が渡すチップで潤った。取り残されたのは平均賃金しかもらえない労働者で、「モラルと生産性は落ちた。遅刻や早退は常態化し、公務員が袖の下を要求する場面も」少なくないという。政府が労働者食堂を一斉監査したところ、使いきったはずの米や豆が大量に出てきた。どうやらヤミ市場に流して金に変えていたらしい・・・。


■こうしたことはかつてのソ連そっくりである。国営の農場や工場から食料や金属材料を持ち出して売りさばく。労働者は怠惰になる。そこで、兄フィデルの跡を継いだ弟ラウル・カストロが言ったのだ。「平等主義は怠け者が働き者を食い物にすること」だと。社会主義国家とは、ひとつの大きな家族形態であろう。独裁者を倒し、万人平等の社会を作る。医療も住宅も学校も食事もタダか、ほとんどタダに近い環境を提供する。当初はそれが大きな喜びであり、外からの風がまだ吹き込んでいない間は人の心を満足させるが、ひとたび豊かさの実態を知ったとき、人間はズルをしたくなる。


■社会主義国家を足元から揺さぶるもの、それはドルという通貨である。アメリカと対峙するキューバがアメリカの通貨であるドルに足元をすくわれるのは皮肉なことではあるが、このこともまた、かつてのソ連にはあったことだ。僕がソ連に行き始めたころ、まだ旧弊が色濃く残っていた。例えばレストラン。決められた時間が来るときっちり店を閉める。閉めている時間がさらに長い。当時はまだ通りにピザハットもマクドナルドもなく、レストランの営業時間を外すと街でメシが食えなくなる。あるとき僕はモスクワで、食べさせろ、いやもう閉店だ、ボーイと入り口で押し問答したことがある。そこで、チラッとドル紙幣を見せたらボーイの態度がガラッと変わった。うやうやしく僕を中に招き入れ、サービスしたのだ。だだっぴろいダイニングで独りステーキを食ったあの日のことを僕は忘れない。


■もうひとつ。街頭絵描きに似顔絵を描いてもらったときのこと。僕は代金10ドルを手渡そうとした。そしたら絵描きが急にビビッた。周囲をキョロキョロ見渡し、小さな声で「ここじゃまずい。ボクのあとについてきてくれ・・・」と言う。地下鉄に乗って、駅3つを過ぎて、乗降客の少ない駅のホームの柱の陰で、ようやく彼は僕からドル紙幣を受け取った。彼の名はセルゲイ。以後僕は彼の自宅を何度も訪ね、モスクワの案内人とし、彼を通してさらに何人かの友人を作るという機会に恵まれた。当時、ロシア人にとってドルは夢にまで見る金だった。ただし、それをやり取りしている現場を警官に見られるとたちまち御用となる。セルゲイはこれを恐れ、僕を地下鉄3駅もの遠くまで引っ張ったというわけなのだ。