佐藤愛子さんのことば | ゆっくり ゆったり ゆたかに!

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“焚くほどは風がもてくる落ち葉かな”
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エッセイも小説も好きでないのに佐藤愛子さんの本を読んだ。
 先々週、自宅に帰るとき、道を間違えて遠回りになった時、本屋に寄ったのです。
歴史小説みたいなものはないかな・・・・。
そして、手に取ったのが「老兵の消燈ラッパ」です。ぼくは、小説やエッセイにはほとんど興味がなかったのだが、歴史ものには興味がある。老兵かあと思いながら、直感で歴史ものだろうと思って決めてしまった。
 ちょっとトイレに行きたくなったので、本をその辺に適当に置いて戻ってくると、おばさんがわずか数分の間に「老兵の消燈ラッパ」を手に取って読んでいた。
「すいません。それぼくが買うんですが」と言うと、
「懐かしくて、ついつい見てしまいました。佐藤愛子さんの本は面白いですよ」と言われた。
「ふ~ん」
 2冊目には「何がおかしい」も買って読みました。小説家なのかと期待して買ったけれどエッセイなんですね。これは自分の見方ですが、この方、もしかして男だったらハー...ドボイルドなのではないかと、いろいろ想像して読みました。近所にいたら面白いだろうなとか・・・・。

佐藤愛子さんのことば

☆東京の環状7号線を跨いでいる歩道橋の上に上る。「暮れなずむ空の下で渓流のように車が走っていた。歩道橋に上って南の方を眺めると、既に暮れた鼠色の町の果てからヘッドライトをつけた車が際限もなく湧き出してきて、まるで無人車のように機械的な速力でまっしぐらに走り、あっという間に足の下に消え去る・・・」
「うるさいぞオーッ、バカヤローッ!」と叫ぶのである。
その横で子供の桃子もその真似をして「バカヤローッ」と叫ぶ。
本の始めの方で佐藤さんの気性の荒さがわかって、読んだぼくは驚く。この人、大丈夫だろうか?

☆確かに福田元首相は一国の首相に向いている人ではなかった。
「もっとハッキリしなはれ!」
といいたくなることはよくあった。中国に対してもアメリカに向かっても、北朝鮮への対応にしても、いうべきことをなぜいわないかと不思議に思ったものである。福田さんは現今の国際情況の激流に棹さして飛沫をものともせずに進むには覇気が乏しいように私は思う。だから支持率が30%を切って、民主党を敵に廻し、公明党また恃むに足らぬという行き詰った政局の中で、腕力に欠ける人が無理に頑張っているよりも、刃折れ矢尽きたと思えば潔く退いた方がよろしいと私は考えるのである。

☆かつて孫は私を尊敬していた。私は「何でも知っている人」として一目も二目も置かれていたのだ。「おばあちゃんはよく知っているね、どんな勉強をしたの?」
「おばあちゃんは国語の天才なんですよ。だから国語力だけずぬけている」
「ふーん、天才なの・・・・・・」
あの頃は孫も可愛かった。無邪気に騙されて尊敬していたのだ。

☆この頃は「分析」というものが幅を利かせて人もそれに頼るようになり、「思いやり」や「ゆとり」が押し退けられて「ストレス」ばやりになった。ストレスが原因ですと簡単にいい、そういいながら何かにつけて大仰に騒いでストレスを助長させている。自由な社会を、といいながら、窮屈な世の中を作っている。その一方で、ストレスをいいわけにする場合がある。
 夜中に酔っ払いが大声を上げている。酒を飲んでうさ晴らしをしたいんだろうなあ、きっと普段は真面目なおとなしい男なんだろう。そういうのに限って酒癖がわるいののだ・・・・とは今は思いやらないらしい。そして110番する。酔っ払いはほっとけばそのうちに醒める。窓を閉めて布団をかぶっていればそのうち眠ってしまうのだが。そして朝になり、
「ゆうべはうるさかったねえ」
「だから酔っ払いはイヤなのよ」
といって終りになったものだ、かつては。

などなど多数ありますが、大正生まれの方で歯に衣を着せぬ話が面白い。今の人は日常で結論をだしたがり、長い時間考えてしまう人がいます。この方はとにかく必死な人生だったと思います。
10歩先や、100歩先の大事なことよりも、曖昧糢糊でもとにかく実行し、目の前の1歩に一生懸命だったのだろうと思います。
みなさんも、是非一度ご購読を。