以下の記事はSPOON - ソーシャルラジオサービス というアプリでポッドキャスト配信した時に使用した下地の原稿です。
こんばんは、おはようございます、こんにちは です。
先週は中島らも 「砂をつかんで立ち上がれ」の書評ブログのようなキャストと、
その 中島らも の考え方に強く影響を受けた自分が過去に経験した「ブラック企業と戦い、和解金を分捕り、窮地に追い込んだ話」のキャストも、
世間に ブラック企業 がはびこる世の中なのか、自分の想像よりも大きな反応をいただき、
本当にありがとうございました。
さて、今回は つい先日、自分が とあるライブ配信者の枠を聞いていた時に、遭遇した
「自警団」について話してから、
価値観の多様性の大事さ と SPOON が息苦しい環境になりませんように。。と個人的に思ったことを話します。
あるライブを聴いていたところ、リスナーの中の一人の方が配信者に対して、「あなたの放送は放送タイトルがSPOONにはふさわしくないからタイトルを変更して下さい」というようなコメントが出てきたのです。
その放送は同じタイトルのまま過去に5回放送されていて、放送タイトルと放送内容が全く異なる放送で、あれこれ相談する人がいたり、あるテーマを決めて、リスナーそれぞれで考えて、コメントし合って、色んな考え方をしって「なるほどなー。」なんて思ったり、
あれこれ考えるのが好きな自分にとっては好きなライブだったので、ビックリしたのです。
で、当然、配信者も自分を含むリスナーも「え?なんで?」と 戸惑う訳です。
たしかに放送タイトルと放送内容は異なるけども、それを 一リスナーが、配信者に「タイトルがSPOONにふさわしくないから変えろ」なんて言えるんだろう?と。
基本的人権を踏みにじるような放送タイトルや 利用規約に禁止されてるようなタイトルならアウトだろうけど、それは「個人の自由」なんじゃない?とは個人的には思いました。
で、疑問なので、配信者も、その他のリスナーも「どうして?」と聞きますよね、
すると「他の枠の配信者たちも言ってます!評判になってます!」なんて答えが出て、
「え?何それ?」と余計に配信者と、自分を含むリスナーの疑問は深まり、
最終的には、放送タイトル変更を迫る リスナーさんは 感情のまま暴走し、
見当違いのコメントを残して、逃げるように去っていきました。
配信者自身も他のリスナーも「まあ、この方もSPOONを愛してるからなんでしょうね・・・」なんて話にはなりましたが、釈然とはしませんでした。
自分は「ああ、この方、他のライブ枠のコメント欄でも遭遇したことあるけど 荒らし だったのかな?」な気持ちになり、
「他の配信者も言ってる!評判になっている!」と主張してたけども、その方、単独で「SPOON自警団」をやってるのかと思った訳です。
しかし、後日、他のリスナーさんから「他の配信者のライブ枠でもこの枠は良く思われていない」なんて話題が出ていると報告があり、
自警団 が 枠のタイトル変更を迫ってきた あの人 単独ではない疑いが濃厚になった訳です。あの方は「鉄砲玉」だったのかと。それだと余計にマズイことだと。
4月上旬にスマホにSPOONを入れて、初期の閑散としたSPOONを見てきた自分は、今の利用者が大勢になったSPOONには驚いています。
今では年齢、性別、地域、職業、価値観、趣味も多種多様です。
今のところは、荒らし行為 が多発している訳ではありません。
自分は、SPOON内では 利用規約 を守りつつ、
他者の基本的人権を踏みにじるようなこと(人の意思に反した命令や抑圧)や、
人としてやってはダメなこと(犯罪や倫理的にダメなこと)をしない限りは みんなそれぞれ好きにやればいいと思います。あと、利用規約の拡大解釈による規制強化には反対です。
しかし、今回自分が遭遇した 「自警団」には 原理主義的、全体主義的な 芽生え を感じたのです。SPOONの居心地の良さ や SPOONの利用規約を大義名分にした 他者への抑圧なのかなと。
原理主義や全体主義は 閉鎖と排外を生み、さらに進行すると、自縄自縛するカルトになります。
あなたは今の日本社会、カルト化している自覚ありませんか?
今の日本政府、日本国憲法の三原則
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義をかなぐり捨ててると感じませんか?
一応は近代国家であるくせに、公文書偽造、国民の国有財産の私物化、ホントに
大したことない問題なんて思ってますか?
政権批判をすると「日本から出て行け!」や「非国民」呼ばわりしてきたり、人種や国籍差別して、排外主義が生きがいになっている、ネトウヨに遭遇しませんか?
歴史の話にすると、ナチズム、スターリニズム、大政翼賛会、文化大革命時の紅衛兵、連合赤軍、オウム真理教も、全部根っこは同じです。
社会でも、SPOONの中でも 大事なのは 「自分は自分 他人は他人 」というごく当たり前のことです。みんな違っていて当然です。 量産化された工業製品ではないのです。
自分自身以外の人間を自分の思惑通りにコントロールしたいなんて、ただの「わがまま」です。
そして、次に大事なのは 保育園児や幼稚園児の頃から言われる「自分がされてイヤなことは他人にしてはダメ!」という人として最低限のルールです。
影でコソコソと悪評を言われても、「無関心よりは 人に意識され 認められてる証拠なので嬉しいかも・・」なんて思ってしまう、
好き好んでブラック企業の経営者を窮地に追い込んでみたり、飛び込み営業を楽しんでいた、「頭のネジが飛んでいる」自分みたいな人間を除いては、世間一般の人が嫌がること、自分がされてイヤなことはしちゃダメです。
とにかく大事なのは多様性と、その多様性を持つ 大勢の他者を認める心です。
原理主義、排外主義、全体主義に走る人たちも、それを認めないと、最終的には自分で自分の首を絞めるハメになりますよ?
日本は大和の国です。大きな和の国です。
他者を認め、自分自身を認め、これからも楽しんで行きましょう。
長い上に、過去最高の説教臭さですが、自分が伝えたかったことは以上です!