西尾・岩村友好の会 | 稲垣昌利オフィシャルブログ「まさとしのティータイム」Powered by Ameba

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昨日の11日、


矢作古川クリーンキャンペーンの後は、


西尾商工会議所で開催された


西尾・岩村友好の会 の


第13回通常総会に出席してきましたニコニコ



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西尾市と岐阜県岩村町(現在は合併して恵那市)


を結ぶのは、


藩主が松平氏であった縁によりますビックリマーク




松平氏は「18松平」をはじめとして


分家支流が多くありますが、


大給(おぎゅう)松平氏が両藩の


本家分家の関係になっています!!




徳川家康の祖である松平氏は


三河国松平郷を本領とした豪族で、


初代は松平親氏(家康は9代目)であり、


大給松平は4代親忠の二男 乗元が


大給城主として分立したのに始まりますひらめき電球




明和元年(1764年)西尾城主となった


松平乗佑(のりすけ)は大給松平本家で、


以後松平氏は明治維新までの107年間


西尾城主として在城し、


15代乗秩(のりつね)のとき版籍を奉還しましたひらめき電球




岩村城は7代乗寿が浜松へ移ったあと


丹羽氏が入って5代続きましたが、


お家騒動が原因で越後へ領地半減して移されました。


元禄15年(1702年)丹羽氏のあと


信州小諸(長野県)から岩村城主として来たのは


大給松平家7代目で岩村城主であった


松平乗寿の二男乗政を祖とする分家松平で、


乗政の長男乗紀(のりただ)でした。


こうして西尾藩と岩村藩は本家分家として


厚い親交を重ねつつ明治維新を迎えましたひらめき電球




このような歴史を持つ2つの城下町は、


昭和後半期から民間の文化交流が活発となり、


歴史を通しての友人関係を構築するまでになり、


西尾・岩村友好の会 


が設立されたのでしたニコニコ