―生命の進化・多様化のパターンには、ヒトが平和に暮らすためのヒントが隠されている―

 

かねてから、そう思っています。

 

たしかに自然界は厳しく、略奪・破壊・死が常につきまとっています。

 

ですが、ある資源をめぐる競合のパターンを見たときに―資源の種類にもよるでしょうが―、これほど多くの生き物が同じ資源を享受しているという驚きを感じることが、多々あります。

 

例えば花。

タンポポの花に飛来するナミホシヒラタアブ

 

一つの花をじっと観察していると、入れ代わり立ち代わり違う昆虫がやってくる場面に、しばしば遭遇します。

 

花という一つの資源をめぐって、虫たちの間で、何か決まりごとのような、ある種の法則のようなものがある気がして、じっと見入ってしまいます。

 

花の大きさや形、咲いている時期、蜜や花粉の量…

 

片や、飛来する虫の種類、大きさや形態、飛び方や止まり方、蜜の吸い方…

 

飛来する個々の昆虫が、趣向を凝らした様々なパフォーマンスで花へとアプローチしています。

 

じつは、花と虫との関係では、多くの場合「1対1のベストな関係」というものが、あまりありません。

 

―特定の花が、特定の虫と特別な契約を結んでいる―という現象は劇的で、よくクローズアップされるのですが、自然界ではそういった例の方が、かえって稀。

 

実際は、花と虫とが「ユルく」繋がり合う中で、それぞれの多様性が維持されているのです。

 

この解釈には特別感がなくて、あまり注目されないのですが、それはとても残念なこと。

 

花という資源に関しては、この「多様な花が多様な昆虫に利用されている」という視点こそが、私はすごく大切なものだと思っています。

 

なぜって、これは「人間社会」にも同じことがいえるから。

 

世界に争いごとがなく、全員が安定的・持続的に暮らしていくとはどういう状態でしょうか?

 

それは、天然資源でも農産物でも、あるいは資本であっても、それを「資源」とみなし、その資源を「多様な人たち」が持続的・安定的に享受している状態のことです。

 

―限りある資源を、多様な人たちが享受していくために、どんなルールが必要で、あるいは必要ではないのか?—

 

いま、世界に突き付けられているこの問題を、こう読み替えたらどうでしょう?

 

限りある「花」という資源を、どうしたら「様々な昆虫」が利用し続けることができるでしょうか?

 

答えは…簡単なようでいて、複雑です。

 

ただ、「ひとり勝ちを許さない」という自然界には、多様な存在が共存共栄できる秘密が、絶対あるに違いありません。

 

―「花と昆虫の関係から考える、世界の平和」—私の晩年にはそんな本が出ているかわかりませんが、花に止まる昆虫には、それだけ大きなテーマが隠されているのです。