☆3.5『止まった時計』松本麗華(麻原彰晃の三女アーチャリーの手記) | lemon-lime のブログ

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オウム真理教の教祖:麻原彰晃の三女、アーチャリーの手記です。

🌟10でいえば、7.5。
🌟5でいえば、3.5。




この本に対するレビューを見ますと、
批判的なレビューも多いようですが、
この子の生い立ちで考えれば、この本のような内容になって当然だと思います。
麻原に対しての想いは、かなり正直に書いているのではないかなと感じました。

『観念崩壊セミナー』や、麻原逮捕~近年まで、もっと踏み込んでありのままを書いてみてほしかったですが、これらは、“虚偽”というよりは、“書いてない”だけなので、“書かない自由”もあるわけですから、書いてほしかったですが、まぁ、そこまで責められません。


事件や教団や父親=麻原に対しての想いは、
この人にとってはそうなのだから、それをそのまま書いたものを読んで、
それに対して、「嫌だ、おかしい、変だ」、という人は、いったい、誰が書いた何を読みたいのでしょうか。
彼女が、表向き、無難な反省の弁をひたすらに並べ、麻原を徹底的に批判しているような本を書けば、その人たちはそれで満足なのでしょうか。

この本は、あの教団であの教祖の娘として生まれ、ハタチごろまで教団の中だけで育ってきた、しかも教団において最も霊性が高いとまで言われていたあの三女が書いた本なのだという視点が大切だと思います。

おかしいからアーチャリーなわけで、
おかしいからこそ読みごたえがあるわけで。


なので、あの麻原を、いいお父さんで、愛していて、というような、なんとも微妙なことが書かれていてこそ、味わい深いわけで、そこを味わい深いと捉えることが出来ない人は、そもそもこういったジャンルを読むにあたっての、読書のセンスがありません。


さらに、あえて擁護するようなことを書きますと、
『観念崩壊セミナー』についても、
麻原逮捕後、教団存続の危機に際して、
(存続させる必要がないというのが当たり前な世間の思いですが、あくまでも、信者の99%が犯罪行為を知らなかったのが実状のその教団側の立場で考えた場合です。そういった視点を持ちましょう)
まだ15歳前後の彼女は、教団のトップみたいな存在で、
彼女の本心においても、立場上においても、
なんとかして教団を引き締め、守り、存続させていかなければならないわけです。
セミナーはぐちゃぐちゃで、凄惨を極め、酷い有り様だったようですが、
そりゃあ、仕方ないよね笑
世間でいう中高生の年齢なんて、まだまだ子どもだし、しかも教団でしか育ってきてないわけだから、
責任感から何かしようと思っても、頭も常識的な思考も、追いつくはずがありません。
そのあたりのことを赤裸々に、この本でね、
自分を守らず、逃げずにたっぷり書いてほしかったですけどね。

実際、彼女自身、途中で気が滅入ってセミナーに来なくなったそうですが、そりゃあ、そうなりますよ笑
子どもを担いで何かしようとする大人たち、
それに応えようとする、無知でワガママな女王。
上手くいかない現実を見て、彼女はこのとき、
生まれて初めて、ある程度、身の程を知ったのではないでしょうか。


あとは、近年の教団への関与の問題ですが、
これも、本当に母親が糸を引いていただけかもしれないし、そりゃあ、娘として、正大師として、
それなりに、「何かしないと」、と思ってもおかしくない。
もしくは、生活のこともあるし、長らく唯一絶対の居場所でもあったわけだし、本当に彼女が積極的に関わろうとしていたり、積極的に金銭の援助を求めたりしていたのか、
そのあたりも含めて、実際はどうだったのか。どうなのか。

(表向き脱会した?)信者がマンションを買い、そこでカップルとして生活しているとも言われていますが、それが事実だとしても、私はそのこと自体、そこまで悪いとは思いません。生き方であり、在り方だと思いますし、恋愛なら恋愛で、それもよし。
「教団関係の支援や繋がりを完全に断って、完全に一般人として普通の仕事をし、慎ましく生きていけ」という意見がほとんどだと思いますが、もちろん、理想はそうでしょう。ありえないというのもわかります。

けれど、法律や仕組み、抜け道や受け皿や、人の心や、諸々の流れ、色々なものがあって、今そうなっているならば、決して彼女たち側のみが悪いとも思えません。
住むところやお金を提供してくれる人がいるなら、それはそれでいいと思います。
ただまぁ、せめて、「賠償に回しなさいよ!」、とは思いますけれども笑

しかし、ならば私たちは、
じゃあ彼女たちの生活水準をどのあたりに設定して(どのあたりまでの生活なら許してやって、認めてやって)、それ以外は全て賠償に回せ、自由も娯楽も、笑顔も、おまえたちには許されない、認められない!
と、断罪したいのだろうか、という視点が出てきます。「どの程度のラインならこいつらを許してやるのか、認めてやるのか」
つまり、こんなものはもうキリがないし、
本人たちの良心やセンスに委ねるしかない笑

四女が今、どんな生活をしているか、実際のところはわかりませんが、
もしも麻原や教団の事件を背負って、生きづらく、自分を卑下し否定し、幸せになれない(なってはいけない)、娯楽や笑顔さえも認められないような人生を強いられるのだとすれば、
それはそれで、やっぱりそれは、どこかおかしい。

つまり、三女も四女も、次女も長女も、長男も次男も、
なんとも味わい深い、どうしようもない運命の中で生まれ、育ち、放り出され、それでも生きていかねばならない。そんな人間模様。そんな物語。

今回のこの本の彼女、三女、
実際にはどういう人間なのか、それ私たち読者にはわかりませんが、
それならそれで、「いまだに、教団と、どうしても切っても切れない」というのがまさに彼女の姿なわけで、
読者はそれを味わえばいいわけです。


野田成人さんのブログや書籍には、かなり激しい言動が書かれていますが、
この三女アーチャリー。いったいどんな人なのか、
どうしようもない苦悩は理解できるので、
嘘も覚悟で、一度お話してみたい。

とんでもない奴ならとんでもない奴で、
それもまた、味わい深い。

この人たちの場合、否定し批判するのは簡単です。
しかし、もしも自分がこの人たちの立場で生まれ育ってきたとしたら、
私たちも、否定し批判する人たちが描くようなこの人たちの生き方を、素直に選択出来るでしょうかねぇ、、、
ということです。


ほんとや嘘や、隠し事や、いろいろあれど、
長女も次女も三女も四女も、
私は応援してあげたいですね。