中山城(たつの市新宮町善定字中山・札楽)
『新宮町史』によると、築城は建武四年(1337)頃で、播磨国守護赤松円心の命によって築かれたとされているが、その後の城主等一切不明である。『日本城郭全集』によると、赤松再興に力を尽くした赤松政則が死後、備前守護代であった浦上則宗が姫路の稱名寺に対し寺領安堵状を出すなどの越権行為が甚だしく、その専横ぶりに反抗した浦上因幡守村国が明応八年(1499)則宗を攻撃し、播磨地方は乱戦の様相を呈するに至った。中山城は村国派の武将が居城したため赤松下野守政秀は則宗に味方して中山城を攻撃した。さらに同年八月、浦上則宗に味方した宍粟郡長水城主宇野政頼は配下の田路左京亮に命じ政秀と共に中山城を攻め、遂にこれを落城させた。こうして播磨一円に浦上、赤松両氏に同族間の闘争が続くのである。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
東出丸?(中山寺跡)