弥高山城 姫路市弥高山城(姫路市砥堀寺山・広峰)『播磨鑑』その他の文献のいずれもが「城主は谷沢甲斐守、衣笠村氏の靡下」とあるのみで詳しくは分からない。衣笠村氏は永正十五年(1518)置塩城主赤松義村が松山城を攻めたときの城主で、その時弥高城(林田町八幡)にいて、共に戦ったのが谷沢甲斐太郎国氏である。城の名も城主の名も相似ているが、両城は別個のものである。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)北西竪堀北東二郭北東三郭南東竪堀北東二郭南下の東三郭東三郭南下の東四郭東四郭南下の南五郭南東竪堀東五郭南下の東六郭東六郭東帯曲輪東竪堀東尾根曲輪群第一郭東尾根曲輪群南二郭東尾根曲輪群南三郭東尾根曲輪群南四郭東尾根曲輪群南五郭東尾根曲輪群南六郭北に土塁のある主郭南二郭南東三郭南東四郭西竪堀南東五郭北西腰曲輪南東五郭南東五郭南帯曲輪南東六郭南東七郭南西竪堀南東八郭南東九郭南東十郭自然地形の南東十一郭戻って南東五郭東帯曲輪東谷間の曲輪上段東谷間の曲輪下段東六郭からかなり下がった位置の東七郭東七郭東腰曲輪北上段東七郭東腰曲輪南下段中央が登り土塁で仕切られた東八郭東段東八郭西段東九郭東十郭弥高山城遠望軌跡ログ姫路市の城