南山田城(姫路市山田町南山田)
別名:南山田構
約100m四方のこの小丘は南半分が整地されて児童公園になっているが北側から東側の薮には三段の平坦面と周囲に土塁跡も認められる。ここは後藤又兵衛基次の居城「南山田城跡」といわれ、基次の父基国が十六世紀後半に築いたと伝えられる。父基国は三木城主別所氏の家臣、又兵衛基次は「槍の又兵衛」という異名をもつ安土桃山時代の著名な武士で、黒田孝高・長政父子に仕えて重臣となるが浪人し、元和元年(1615)大坂夏の陣に豊臣方として戦死した。
(※現地説明看板より)
近くに建つ案内看板