三森山城 旧宍粟郡安富町三森山城(姫路市安富町三森)別名:三森城・三森山構居文明元年(1469)赤松政則が赤松家を再興するや、長水城主の系譜を引く広瀬近江守親茂が五代目城主として長水城を再築するとともにここ安富町三森に城を築き、家臣の三森近江守範治を城主として長水城の守りとした。天正八年(1580)羽柴秀吉の播磨侵攻に際して長水城と共に落城した。三森範治初代城主以後の城主名は明らかでないが、『日本の城と歴史』には三森遠江守を挙げている。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)東五郭東四郭東三郭東二郭主郭主郭南帯曲輪帯曲輪状の北西二郭帯曲輪状の北西三郭帯曲輪状の北西四郭帯曲輪状の北西五郭西二郭西三郭西四郭西五郭三森山城遠望軌跡ログ実地踏査を元に作成した概略図姫路市の城