野瀬城 神戸市北区野瀬城(神戸市北区淡河町野瀬)野瀬城がいつ頃築城されたのかは不明である。嘉吉の乱の時、城主であった野瀬氏は山名勢が有馬郡から淡河の谷へと攻め込んだ際に落城し、滅亡したようである。後の天正六年(1578)十二月十日、播磨攻めの為に進軍してきた羽柴秀吉勢が野瀬城に攻めかかった。城主は、淡河城主の淡河弾正忠定範の弟、新三郎長範だったが、かろうじて淡河城に逃げ延びた。当時の記録として、国次小次郎猛紀の名が残っている。(※郷土の城ものがたり 東播編より)野瀬城跡神戸市北区の城