『播磨志』に「土井山構居、豊地城支城」と記されている。東条湖ができる前は、その俗称「土井」と呼ばれる集落があって、東条より丹波へ通じる鴨川沿いの旧道は、この付近で深い谷底道となっていた。伝承によると、所在不明であるが、この地に中世の山城があったということである。「土井集落」が東条湖に沈んだ現在、その城が『播磨鑑』『播磨志』の「土井山構居」に相当するものかどうか、所在地はどこかなど、詳細な調査は不能である。ただ、所在地についての一つの可能性として、東条ダム南東の岸山(標高150m、比高50m)があげられる。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
西南西十郭
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