「東作誌」は東北条郡青山村の「仙の城」として、城跡は分明ではなく、城主や年代など不詳と記す。『日本城郭大系』は津山市吉見にあって別所城(津山市上高倉)の出城とするが誤記か。
天正八年(1580)閏三月、吉川元春は升形城(鏡野町香々美)に在番する森脇春方に「祝山」(津山市吉見)と「仙」の普請について指示しているが、同年十月には「祝山・仙々番衆」の斎藤・塩屋家中から宇喜多氏への内応者が城から退出する事件が起こっている(「藩中諸家古文書纂」、「閥閲録」)。以上、同時代史料に見える「仙」「仙々城」とは当城のことと考えられる。
(※美作国の山城より)