船谷城(養父市船谷字西山)
船谷城は『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』には、「みくに城」と登録されている。土地の人の呼び名である。根拠は分からない。他にも例の多い「比丘尼城」だったのかも知れない。そこで本書では、通例に従って在地の集落名を冠して船谷城と呼ぶことにした。山の中腹から突き出た先端が一つの峰をなしている尾根上にある。比高およそ100m、そこに長さ30m余の郭が一段、その下に小郭が一段、さらにその下段に堀切が一条掘られているといった小規模なものである。
(※養父町史より)
最初にお断りしておくが、養父町史に記載されていたこの図は方向が間違っている。
図内の表示の北が、実際には東である。
北東五郭
東五郭
土塁状の東四郭
東三郭と東四郭間の東堀切
東堀切からの南竪堀
東堀切からの北竪堀
東三郭
東二郭
主郭
図に無い南西堀切
南西二郭
緩傾斜の西二郭
主郭西帯曲輪
船谷城遠望
軌跡ログ
旧養父郡養父町の城