田和城(養父市大屋町田和字西の谷)
田和城は大屋川右岸、田和集落の北西、大屋川が大きく蛇行して形成した「田和の淵」に突き出た細尾根の突端、標高174mに所在する。田和集落との比高は約35mしかない低い丘陵を利用している。城域は東西約25m・南北約120mを測る小規模城郭である。道路に面して「城山公園」の看板があがっている。
文献的に城史は明らかではないが、加保の『正垣小左衛門家文書』によれば、天正九年頃、栃尾源左衛門と居相肥前守(孫作)とは藤堂高虎の「小代一揆」制圧に味方し、その功績によって田和城は高虎から居相孫作に与えられた。その後居相氏から栃尾源左衛門に譲渡された、と記されている。居相氏はもともと夏梅を本拠地とする武将で田和城を守備した可能性と、天正八年に八木城から夏梅に移り住んだ武将という二つの可能性がある。
(※図説養父市城郭事典より)
実際の地形と縄張図を見比べれば気づくが、縄張図で東となっている方向が北である
城山の看板
南東六郭(曲輪10)
南東六郭東帯曲輪
南東五郭(曲輪9)
南東四郭(曲輪7)南下段
図では一段のみの曲輪のはずだが、後世の改変なのか二段となっている
南東四郭(曲輪7)北上段
南東四郭東帯曲輪(曲輪8)
南東三郭(曲輪6)
南東三郭の北西土塁
南東三郭東腰曲輪
東堀切
東堀切からの南西堅堀
東二郭(曲輪5)
主郭
主郭北帯曲輪
主郭北帯曲輪と繋がる北西二郭(曲輪2)
北西三郭(曲輪3)
北西四郭(曲輪4)
田和城遠望
軌跡ログ
旧養父郡大屋町の城