ここは蜘ヶ家山を中心とした丘陵地の東、半島状の小さい丘にあたり、「伯耆民談記」に北条郷島村にあったと記される「堤城」と考えられる場所です。
堤城は小字「城之内」の中心に広がると見られ、江戸時代の天保期に作られた絵図面では小高い丘が描かれていますが、現在は家が建てこんでおり、城郭の構造など商材は分かっていません。
この城に拠ったのは山田氏です。山田氏は北条郷にあった石清水八幡宮の所領として知られる「山田別宮」(現北条八幡宮)周辺の地にあって、管理者として鎌倉時代頃からの記録にその名が見られます。戦国時代に登場する山田出雲守重直は羽衣石城の南条氏の重臣として活躍しますが、永禄年間(16世紀中頃)に毛利元就に従い、所領を安堵されています。
関ヶ原の戦いの後、毛利氏一門の吉川氏の家臣となり、周防国(現山口県東南部)岩国の地に移っていきました。
堤城は大規模な城郭ではありませんが、関係資料も伝わっており、郷土史を語る上で重要な史跡の一つといえるでしょう。
(※現地説明文より)
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堤城と考えられる場所
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付近には五輪塔が見られた
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石清水八幡宮(現北条八幡宮)
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150118/13/inaba-houki-castle/9c/8d/j/o0800060013192705676.jpg?caw=800)
東伯郡北栄町の城