八木古城(養父市八鹿町八木)
11世紀半ば、源義家の重臣、閉伊四郎頼国が八木に土城を造り、館を構え、以後約130年間勢力を誇っていたが、建久五年(1194)から正治二年(1200)頃、日下部氏を祖とする朝倉高清が頼国の後裔・閉伊十郎行光を攻め滅ぼし、土城の東部の峯に新たに城を構築し、三男の重清を城主に置き、地名をとって「八木」を名乗らせたのが八木城の起こりであると云われる。
八木城から縦走すると、南東に突き出した南東九郭へ到達するI
南東九郭から見た南八郭の虎口
西側に土塁のある南八郭
南八郭の南西下には南西九郭
その北西には分厚い土塁
さらに南西へ南西十郭と、帯曲輪状の南西十一郭
戻って南七郭
細長く伸びる南六郭
西に土塁のある南五郭と南四郭
南四郭には溜池か井戸のような水場I
仕切土塁で東下段と西上段に分かれた南三郭
南二郭の虎口
西に土塁のある南二郭
主郭
東二郭
北二郭~北三郭
北端の北堀切
八木古城遠望
軌跡ログ
旧養父郡八鹿町の城