埴見子守谷城 旧東伯郡東郷町標高115m・比高67mの埴見子守谷城(湯梨浜町埴見)は、別名で城山城とも呼ばれる『陰徳記』は、高野宮・松崎と共に築かれた城として「城山城」を挙げている。『山田氏覚書』は、「高野宮城に者山田出雲守重直、城山の城には岡本大蔵、松崎の城に大森(小森)和泉守、右三城羽衣石御手当也」としている。(※因伯の戦国城郭 通史編より)北西に張り出した尾根から登り、城域へ迫るまずは主郭へ到達東二郭その南東には堀切その南には南二郭南三郭一段高くなり南四郭方向を転じて北二郭北三郭さらに北四郭、北五郭を経て、帯曲輪状の北六郭埴見子守谷城遠望軌跡ログ旧東伯郡東郷町の城