この時期になるとメディアで一斉に報じられるのが、1985年8月12日に起こった日本航空 123便の墜落について。


「日本航空が加害者、そして乗客の方々を被害者」として、毎年同じような報道を繰り返すメディアによって、私達はまるで、それが事実のように思い込んでしまっていますよね。

これが日本航空の過失による事故ではなく、事件かもしれないと、私が初めて知ったのは、10年くらい前でしょうか。

JALの先輩から、「良かったら、青山透子さんの”天空の星たちへ”を読んでみて」と言われたのがきっかけです。

元JALのクルーであり、この事件で、以前同じグループだった同僚を亡くされた青山さんが書かれたこの本には、123便墜落の背景に、どれほど多くの不可解なことが起こっていたか、が書かれています。

青山さんの著書は他にも拝読しましたが、元クルーということもあり、断定的に書けない部分もあるように感じていた中、今年は、この事件でお子様2人を亡くされたご遺族の方が書かれた本も初めて拝読しました。



当時、高校1年生だった御次男と中学1年生だった御長女を亡くされた小田様の著書には、123便が墜落した原因について、よりストレートに書かれており、読み進めるうちに胸が苦しくなり怒りに震えると共に、恐ろしくて背筋が凍りそうなほどでした。

乗客509名、乗員15名、そして貨物室には1匹のワンちゃん、合計524名と犬1匹が乗った123便は、35年前の8月12日に群馬県御巣鷹山に墜落。
生存者はわずか4名、520名と1匹のワンちゃんの尊い命が失われた世界の航空史上最悪の大惨事です。

本来ならば、徹底的に墜落原因の追及をしなければならないはずなのに、検察側や航空関係有識者達が疑問視していた「圧力隔壁破壊説」を墜落原因として早々に報告書にまとめ、更に1999年には、運輸省(現国交省)は総重量1,160kgにもおよぶ墜落事件関連資料を全て破棄したのです。

小田様の著書によると、それは「情報公開法」が、施行される直前に行われた蛮行だった、と。

それほどまでに政府が隠したかったことは何なのでしょう。

青山さんの著書に掲載されている機内の窓から撮影した写真に映る黒い物体。


当時の技術では解析出来なかったそうですが、最近のデジタル技術で写真の分析をしたところ、「黒っぽい円形の塊の領域内は中心から右側へ帯状もしくは扇状にオレンジかかっているのが分かります。円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ体の方向から飛行機の進行方向へ向かっているように見えますが...」と、青山さんの著書にも書かれています。

そう、当時、静岡県の沖合では自衛隊のミサイル訓練が行われていました。

訓練では通常「無人標的機」と呼ばれる訓練用ジェット機(リモコン操作されるロケットに似た円筒型の小型ジェット機でオレンジ色)が使用されるそうですが、この標的機にミサイルをぶつけるわけではなく、無人標的機は鋼鉄製のワイヤーの先にトービーと呼ばれる曳航標的、つまり一緒の吹き流しを付けて飛び、この吹き流しめがけてミサイルが発射されるのだそうです。

小田様の著書では、「自衛隊の訓練中に使用していた無人標的機が何らかの理由で飛行経路を外れコントロールできなくなり123便の針路に接近し、その後垂直尾翼に衝突した。
当時の内閣総理大臣であり自衛隊最高指揮官の中曽根氏は、この不祥事を隠蔽するために横田基地に着陸出来たはずの123便の着陸を禁止し、ミサイルで撃墜し520名を殺害した」という仮説を元に、それを裏付ける証言や分析が書かれています。

撃墜説は、それが米軍によるものだという説もありますが、これらの仮説に基づいて考えると

●横田基地への着陸を試みていたにもかかわらずそれが拒否されていること

●ボイスレコーダーの一部が削除(非公開)されていること

●垂直尾翼の残骸は相模湾海底に沈んでいると思われるが海底調査は中曽根氏により早々に打ち切られたこと
(残骸を復元し調べれば圧力隔壁破壊説か、外部からの破壊が明らかになるため)

●墜落現場からオレンジ色の残骸が見つかっていること(123便にオレンジ色の塗装はなく、自衛隊の機材にはオレンジ色の塗装がされている)

●18:56の墜落のわずか20分後には米軍機が墜落現場を特定し救助要因が現場に降下し始めていたにもか変わらず、日本側が救助に向かっているから基地に帰還せよ、と言われたこと

●群馬県の墜落現場近くの農村の子供達が「墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機2機(自衛隊のファントム機)が追いかけっこ状態だった」「墜落現場は上野村とNHKに電話したのにテレビやラジオでは場所不明または違う地名を繰り返し放送していた」と証言していること
(墜落現場が一晩中特定出来なかったのは明らかな嘘であること)

●墜落現場の木々は、葉っぱが黒くなっていても幹は炭化していないのに、遺体は骨の奥まで炭化するほど燃えていて、検死担当の医師がまるで「二度焼きしたような状況だと、言っていること

●ケロシン(飛行機の燃料)は灯油とほぼ同じ成分だが、検死担当の医師によると「かつて灯油を何度もかぶって自殺した遺体を検死したことがあるが、ここまで焼けていない」と言っていること

●早い時期に現場に入った地元の消防団の人々が「ガソリンとタールの異臭がした」と言っていること


など、全て挙げたらキリがないほど、不可解な出来事に説明がついてきます。


私がJALの客室乗務員となって初めて迎えた8月12日は勤務日でした。
お客様に不安を与えたり刺激しないようにという配慮から、123便の記事が掲載されている週刊誌を片づけるようチーフから指示があり、黙祷を捧げてからフライトしたことを今でも覚えています。

当時も、そしてほんの10年前までは、私もすっかりマスコミに惑わされ、ボーイング社の修理ミス、そしてJALの点検ミスであり、JALが起こした事故だと考えていましたが、自分が信じていることが「事実」だなんて保証はありませんね。


今年の夏は、123便が何故墜落しなければならなかったのか、520人もの尊い命が何故奪われたのか、この事件の真相について、一人でも多くの方に今一度考えて頂けたら、と願います。

客室乗務員を目指す皆さんは、青山さんの著書もお読みになると、クルーを目指す上でも大切な気づきを得られると思います。


墜落現場はもっと早い段階で分かっていたのに。
すぐに救助活動が行われていれば、もっと多くの命が助かった可能性があるのに。

1日も早く真相が明らかになる日がくることを願っています。