LIFE MOVIE 世界に一つだけの「私という映画」の作り方

LIFE MOVIE 世界に一つだけの「私という映画」の作り方

人生を楽しむコアを外さない自由な生き方

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自分の人生の主人公は

 

紛れもなく自分、私ですよね。

 

 

でも、

僕たちは自分の目というカメラで

自分の映画を撮っているはずなのに、

 

どうしても脇役ばかりを映して、

いつの間にか主人公が誰かに入れ替わっているような

映画を撮っていることがあります。

 

 

寂しいからか

嫌われたくないからか。

 

 

過度に相手に目を向け過ぎると

 

主人公であるということを放棄しているような、

誰かの映画のいちキャストであるかのような

人生を歩んでしまいます。

 

 

 

あくまでも

自分の人生の主人公は自分であり、

英雄になるべき存在も自分だと

僕は考えます。

 

 

 

 

僕のクライアントの方の話です。

 

 

 

二十代後半のサラリーマンの男性で

結婚間近の彼女もいて、何不自由なく生活していました。

 

 

当初、体験セッションに来た時は

あまりにも自分のことを楽しそうに話すので、

コーチングする必要なんてないんじゃないか

と思ったくらいです。

 

 

しかし、

よくよく話を聞いていくとこういう言葉がぽつりと、

彼の中から出てきました。

 

 

 

「結局嫌われるのが怖いなだけなんです、俺。」

 

「休みの日に家に一人でいると

寂しくて不安になることがあります。」

 

 

 

仕事では目標を持って取り組み、

プライベートは仲間に囲まれ楽しい時間を過ごす。

 

 

だけど、

一人でいると心にぽっかり穴が開いたように、

充実していると思っていた日々に不安が押し寄せてくる。

 

 

誰かと一緒にいる

その一員であれば楽しいのだが、

 

もしその誰かがいないとなれば

自分の人生とは一体なんなのだろうか、

と考えてしまうと言うのです。

 

 

 

 

 

誰かに優しくすること。

 

 

 

それは本来、

 

相手を尊敬しているから

 

自然と相手の立場になって考えるから

 

優しさが心に現れてくるものです。

 

 

嫌われたくないから

 

寂しくて不安だから

 

そういった理由で出てくる優しさとは

 

いつも相手に軸があり、

相手の人生の脇役になりうる行為です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人はもともと創造力と才知にあふれ、

欠けるところのない存在である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちはいつでも自分に選択権があり、

自分で行動することができるし

自分で解決することもできる存在ですよね。

 

 

 

いつも誰かのご機嫌を伺って

自分に与えられた決定権を放棄するのなら、

その一瞬は傷つかなくて済むと思います。

 

でも、

誰かの人生を生きているような

自分が自分じゃないような不安が

一生付きまとっていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

先ほどのクライアントの話に戻ります。

 

 

 

彼は他人を気にするばかりで、

自分の人生を生きていないことに気がつきました。

 

それは主体的に何かをやるというよりも、

いつもやらされているという気持ちでいた

と言うのです。

 

 

そんな自分を打開すべく、

彼は3つの取り組みにチャレンジすることを

約束してくれました。

 

 

・自分に与えられた選択肢を確認すること

 

・主体的にやれる何かを探し実践すること

 

・彼女のいいなりにならないこと(笑)

 

 

そしてこれを続けてから約一ヶ月後のことです。

 

こんな話を聞くことができました。

 

 

 

 

「約束したことを一ヶ月間実践してみると、

自分の人生の目的に気がついたような気がします。

僕はとにかく人の笑顔を見るのが好きだし、

そういう場を作っていると生きがいを感じるんです。

人の顔色を伺っていたのも、

今となっては悲しい顔を見たくなかったからだと思うんです。

まだ実際何をすればいいか決まってはいませんが、

たくさんの笑顔を作っていけるように

いろんなことにチャレンジしていきたいです。」

 

 

 

 

コーチングを始めてからの

約1ヶ月という短期間で、

彼がこれほどまでの気づきを得たことに

僕は非常に感動しました。

 

 

彼が自分の人生を歩き始めたことに

僕自身も勇気付けられることができました。

 

 

 

自分の人生の主人公となることで

人はこれほどの気づきを得ることができ、

輝かしく生きていくことができるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは

どんな人生という映画を撮っていますか?

 

 

 

その映画の主人公は誰ですか?

 

 

 

 

 

 

あなたが主人公の

 

最高の人生という映画を

 

作っていってください。

 

 

 

 

 

それでは(^ ^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三年ほど前に

世界遺産アンコールワットの都市、

シェムリアップを旅していた時の話です。

 

 

シェムリアップは観光都市ともあって

様々な国から外食産業が入ってきているのですが、

旅中は基本的に現地のものしか食べません。

 

 

現地で仲良くなった

トゥクトゥクドライバー(バイクタクシー)

のナリンにお願いして、

町から外れたローカルのお店に

連れて行ってもらってたんですが、

まあとにかく安いし何を食べてもうまいんです。

 

 

ビールは一杯50¢くらい、

ご飯も一食1~2$くらいで食べることができます。

(もっと安いものもありますが、

下手したらお腹壊すんでご用心を)

 

 

ローカルの飲み屋さんは

日本でいうところのキャバクラみたいな雰囲気で

お店の奥にカラオケが付いてたりもするんです。

 

 

どこのお店に行っても

カンボジアの音楽が流れていて、

これが日本の演歌に似ているんですね。

 

 

曲の内容をナリンに尋ねると、

 

 

「Sorrow(悲しみ)」 だと。

 

 

明るい曲は少ないらしく、

失恋について歌った曲が人気だと言うんです。

 

 

なるほど、それも演歌っぽい。

 

 

 

 

そこでちょっと思ったんです。

 

 

カンボジアというと、

独裁者ポルポトによって

300万人以上の人が惨殺された過去があり、

その重い遺産によって今も

苦しんでいる方がいらっしゃいます。

 

 

戦後の日本もたぶんそうだったと思うんですが、

 

 

国が一つの転機を迎え

悲しい過去を抱えながら

新しい一歩を踏み出しているときは、

 

どちらかというと

悲しい歌の方が人気が出やすい。

 

 

カンボジアでも悲しみにより

共感が生まれやすいということを

もろに反映しています。

 

 

しかも

カンボジアではまだまだ

女性蔑視が根強く残っていて、

そういう背景も悲しい曲に

人気が集まる理由かもしれません。

 

 

今では少しづつ

明るい曲を聴きながら

みんなで踊ったりすることもあるんだとか。

 

 

国の発展よりも

国民の心の成長を願うばかりです。

 

 

 

 

カンボジアの音楽を聴いて、

国の変化の中にある

人々の心に寄り添えた瞬間でした。

 

 

 

まだまだね、

カンボジアでは面白いことが

たくさんあったので

これから少しずつ話していきますね(^ ^)

 

 

 

 

それでは♫

 

 

 

 

 

 

 

どうも!

 

 

 

ライフコーチの黒岩です♫

 

 

 

最近仕事ばかりしていて、

あまり遊べてないんですよね。

 

 

仕事はもちろん大好きなんですが、

同じくらい遊びにも情熱を捧げているんです。

 

 

今の僕があるのは

仕事よりも遊びで育んだ部分の方が

割合が高いと思っていて、

 

それだけ遊ぶことが僕にとっては

重要なことなんですね。

 

 

遊びの考え方も

人それぞれあるとは思いますが、

 

僕はね、

遊びの大事な要素は

 

センスを磨くこと

 

だと思っているんです。

 

言ってしまえば

センスを磨くためには、

遊びが一番最適な方法だと

思うんです。

 

 

 

そもそもセンスって言葉は

非常に曖昧に理解されていますよね。

 

調べてみると、

 

物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。

感覚。また、それが具体的に表現されたもの。

判断力。思慮。良識。

 

 

かなりわかりづらい(笑)

 

 

センスは感覚とか感性って言葉にも

似ているとは思うんですが、

 

僕なりの解釈で簡潔にまとめると、

 

物事の良さを感じて表現できる能力

 

だと思うんです。

 

良いもの良いと思えるか

 

そして

 

それを自分なりに表現できるか

 

この二つができて

尚且つそれが他人にハマれば

 

センスがいい人

 

って呼ばれているはずです。

 

 

どうして遊びでセンスが磨かれるのか

をお伝えする前に

最近よく思うことがあるんですが、

 

遊びがマンネリ化してる人って多くないですか?

 

だいたい同じような人に会って

だいたい同じような店に行って

だいたい同じようなもの食べて

だいたい同じ・・・・・・・・

 

余程そのことにハマっているなら

それはたぶん立派な趣味だと思うんですが、

 

同じ人と

同じ場所で

同じことをして

 

飽きないのかなって

僕は思ってしまうんです(笑)

 

同じような話をしてたとしても

違う人と話せば

また新しい気づきも生まれたりするもので、

 

学生時代に地元でやってたようなことを

違う場所で同じようにやってる人が

すごく多いなと思うんです。

 

それじゃはっきり言って

センスが磨かれる訳ないですよね。

 

たまには異物を入れてみて

そこに自分がどう感じるかを

実験してみないといけないんです。

 

 

遊びがセンスを磨く

と言ったのはそういうとこで、

誰でも自由に好きなことができるんだから

安心したことをやり続けるだけじゃなくて

変化を楽しむ心を持たないと。

 

誰かのセンスに触れることで

自分のセンスも磨かれるものですよね。

 

しかも有難いことに

世の中には

自分のセンスは最高でしょ

ってモノに溢れています。

 

つまり、

ある一定の保証があるわけです。

 

例え失敗しても

遊びなんだからどうってことない。

 

また新しいことにチャレンジしてみて、

 

楽しめる幅を増やしながら

良いものを良いと思える感覚を養っていけば、

 

自ずとセンスは磨かれて

自分なりに表現できるようになるものです。

 

ただね、

それが他人にハマるかなって

絶対に考えない方がいいと思うんです。

 

センスって生き方に表れてくるものだから、

承認欲求が強くなると

他人の目を気にしすぎて

自分の人生を生きることができなくなる。

 

個性がなくなっちゃうでしょ。

 

大事なことは

人がどう思うかではなくて、

自分がどう感じるのか。

 

ただそのためには

判断材料が少なすぎるから

遊びの中で違うことに挑戦してみよう

ってことなんです。

 

自分の満たし方

自分の生き方を知って

自信持って生きてたら

それいいなって思う人は

勝手に増えくるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前に

親しい仲間とこんな話をしたことがあります。

 

 

 

どれだけ美しい場所にいたり

どれだけ美味しいものを食べたり

どれだけ楽しいことをやったりしても

 

缶ビール一本で

友達と何時間も語り合って

馬鹿笑いできる自分でいたいよね。

 

 

 

こういうのも

僕はセンスの良い生き方だと思うんです。

 

多くのことを経験して

自分の感覚を養ってきたからこそ

 

どんなに些細なことでも

全力で楽しむことができる。

 

 

センスがいい人ってのは

幸せの見つけ方も上手なんですね。

 

 

 

 

 

 

 

皆さんは

どんな自分らしくて

センスの良い生き方をしたいでしょうか?

 

 

 

 

まずは、

遊びの中で

自分の感性を磨いてもらえれば

と思います。

 

 

 

 

それでは♫