『セクシー田中さん』のドラマ化に纏わる事件に関する話題は、日を追うごとに大きくなっている印象です。

当ブログでも、2月6日に書いていますが、また書くとは思っていませんでした。

 

 

 

 

私は、『セクシー田中さん』の放映こそ知っていましたが、観ていませんでした。

マンガ版に至っては、存在すら知りませんでした。

 

何も知らないのに、偶然の一致がありました。

 

 

前回は、このように書いています。

 

 ─< 以下、前回分からの抜粋 >─

 

私が原作者なら、「登場人物の変更だけは、絶対にダメ!」とし、それ以外はお任せにしますね。

登場人物の追加も、削除も、認めないことで、方向性を保ちやすくなるのかなと。

 

 ─< 抜粋は、以上 >─

 

 

 

他の方が指摘されていましたが、『セクシー田中さん』でも、ドラマ版では登場人物の追加があったそうです。

それも、4人も追加されていたのだそうです。

 

ドラマ化に際し、コンプライアンスや様々な制約によって、マンガ版を完璧に映像化することは不可能だと思うし、そのことは、前回も書きました。

ですが、その制約が登場人物に影響することは、稀だろうと思います。

もちろん、台詞の変更はあるでしょうが、存在そのものが問題になることは稀でしょう。

登場人物がコンプライアンスに影響する場合も、大概は、その人物を登場させないだけで済むはずです。

登場人物を増やす必要に迫られるのは、コンプライアンス等による制約からは、考えにくいところです。それも、4人も追加を必要とすることは、通常はあり得ないでしょう。

 

 

であれば、なぜ4人も追加する必要があったのか、その理由を原作者に伝えていたのか、気になります。

 

4人もの登場人物を追加した理由は、TV局側の大人の事情だったのだろうと思います。

考えられる大人の事情も、なんと、前回の記事に書いています。

なので、改めて書く必要もないでしょう。

 

 

ただ、気に入らないのは、原作者が「原作に忠実に」と言っていたのに、4人も登場人物を追加していたことです。

これを見ると、最初から、原作に沿って進めるつもりはなく、TV局の都合で押し進めるつもりだったのではないかと、思えてくるのです。

 

原作者も、登場人物の追加を見た瞬間から、原作からの乖離を感じたはずです。

原作者にとってみれば、ドラマ化は、原作へ引き戻す戦いだったのかもしれません。

 

 

 

 

となると、なぜ原作者は、ドラマ化を認めたのでしょうか。

もしかすると、ドラマ化を拒むことが、難しかったのかもしれません。

 

 

 

前回も書いているように、法律には詳しくありません。

なので、著作権と著作者人格権があることを、知りませんでした。

 

 

著作権は、著作物のコピーや販売の権利です。

広義の著作権は、版権を指すそうです。

つまり、著作権は、出版社が所有していたのではないかと、想像します。

(以後、著作権を出版社が所有していたと仮定して、話を進めます)

 

著作権を持つ出版社は、TV局に二次創作の権利を売ることができます。(翻案権)

原作者は、著作権を持たないので、出版社からTV局への二次創作権の販売を止められないことになります。

 

前回は、以下のようなことを書いてしまいましたが、現実は違うようです。

 

 

 ─< 以下、前回分からの抜粋 >─

 

一度、映像化の話が始まると、止めるのが容易ではありません。

ならば、余程の覚悟がないなら、原作者は映像化を考えないのが良いでしょう。

 

 ─< 抜粋は、以上 >─

 

 

こんなことを書いてしまいましたが、実際は、原作者に映像化を阻止する権利はないようです。

「原作に忠実に」との原作者の意向が、出版社経由で伝えられたのは、そのような背景があったからではないでしょうか。

 

 

 

次は、著作者人格権です。

 

著作者人格権は、公表権、氏名表示権、同一性保持権等があるそうです。

出版社が、TV局に二次創作権を販売した場合も、原作者には、原作に対して著作者人格権があります。

今回は、同一性保持権から、「原作に忠実に」との要望を出していたと推定できます。

 

原作が完結していないので、原作者としては、この時点の映像化は賛同できなかったのかもしれませんが、著作権は出版社にあるので、それを阻止できなかったことになります。

そこで、妥協点として、著作者人格権(同一性保持権)を用いて、原作に忠実に映像化してもらうことで、原作の結末への影響を減らしたかったのかもしれません。

 

 

となると、出版社は、本当に原作者に寄り添っていたのか、気になります。

出版社の大人の事情で、映像化に踏み切り、何とか原作者に納得してもらおうとしていたのではないかと、思えてきます。

 

過去には、「要望を受け付けないなら、筆を折る」とまで言って、映像の修正を実現させた原作者もいたそうです。

脅迫じみた強い態度に見えますが、内情を考えると、原作者にとっても収入を失う上、原作者が抱えるスタッフへの責任も考えると、作品と心中する覚悟がいります。

逆に言えば、これくらいの覚悟で言わなければ、著作権を持つ出版社は動かないのでしょう。

 

 

 

 

 

TV局にも、様々な大人の事情があることは、想像に難くないところです。

 

プロダクションであったり、スポンサーであったり、タイアップであったりと、様々な取り引き相手との関係性があるでしょう。

また、コンプライアンスにも、気を配る必要があります。

不景気による収入の減少もあり、大人の事情を重視せざるを得ないのでしょう。

 

ですが、大人の事情を優先すれば、最悪の場合は、犯罪や人の命にも関わってきます。

 

 

ジャニーズ喜多川氏(送検されていないので敬称を付けます)の性加害問題は、TV局の関係者は気付いていたと言われています。

ところが、タレントの出演拒否が怖かったのか、表沙汰になるまで無視し続けました。

この事件は、関係者の自殺にまで発展しています。

 

大人の事情で忖度を繰り返すから、悲惨な事件が続くのです。

忖度した結果、逆に、スポンサーにまで迷惑を掛けているのではないでしょうか。

 

大人の事情には理解します。

大人の事情の裏には、別の大人の事情があり、更に別の大人の事情があります。

回り回って、再び自分のところに戻ってきます。

世の中は、大人の事情で回っているとも言えます。

 

ですが、大人の事情が全てに優先するわけではありません。

むしろ、優先度は低いのです。

大人の事情を優先度してしまったために、犯罪を黙認したり、人の心を破壊したのです。

 

その反省の下に、対策を実施していってほしいのです。

 

 

 

 

想像を超える反響に、TV局も、重い腰を上げ、社内特別調査チームを立ち上げました。

一歩、前進ですが、社内でやろうとしているところに、大人の事情を感じます。

 

第三者による調査とは異なり、社内のチームなら、社内でチェックした上で発表できます。

であれば、スポンサーやプロダクションとの関係性に傷を付けそうな内容は、改変が可能です。

 

 

TV局だけでなく、出版社も、大人の事情で動いていたフシがあります。

 

全容を解明し、今回のような事件を防ぐためには、出版社からTV局まで横断して調査する必要があると思います。

そのためには、第三者による調査が必要だと、思います。

 

 

 

 

 

個人的には、法改正が必要だと思っています。

と言うのも、著作権の中の翻案権は、著作者人格権と対立する部分があるからです。

なので、次の3案を提案したいと思います。

 

案1,翻案権は、著作者人格権に含める。

 

案2.翻案権は、著作権からも、著作者人格権からも、独立させる。

   ただし、権利の譲渡は、著作権と同様に行える。

 

案3.翻案権は、著作物が完結するまで、発生しないものとする。

 

 

今回の事件は、完結させるまで映像化したくないとの原作者の意向を無視した形で、映像化を進めてしまったために起きたように見えます。

案3のように、著作物が完結するまで、翻案権が発生しないようにすれば、類似の事件を減らすことができると思われます。

 

ただ、抜本的な解決法は、案1のように、著作者に権利を残す方が、確実と思います。

そして、代理人と契約して、細かな要望の合わせ込みを行うようにするのが現実的かなと。

ただし、著作権を持つ出版社が、二次創作に口を出せなくなるので、別の混乱を産むかもしれません。

 

 

法律には詳しくないので、「法改正も必要」との提案に留めます。

 

 

 

 

 

 

【追伸】

本件に纏わる報道が増え、事態の流れも見えてきました。

 

ただ、詳細に調べるほど、ブログのような公に開かれた媒体に書くことは、憚られる事柄が増えています。

離れた場所から個人を攻撃してしまうことがないよう留意しつつ、自分なりの感想を綴っていきたいと思います。