ドラマ化された「セクシー田中さん」の原作者が亡くなったことを受け、色々な議論が活発になっていますね。

その中で、公正な見方をしているように感じたのが、鴻上尚史氏の意見でした。
一言で言うなら、「問題は、原作者と脚本家の間ではなく、出版社とTV局にある」との意見です。
 
 
 
「セクシー田中さん」のドラマ化をめぐる問題は、「内容を変えないでほしい」との原作者の希望に対して、実際の脚本は原作とは違うものになり、原作者の意向から外れてしまったためとされています。
 
「内容を変えないで」との原作者の意向は、出版社経由でTV局に伝えられていたようです。
そして、TV局からの依頼で、脚本家が脚本を書いたようです。
原作者は、脚本が原作者の意向を汲んだものではないため、脚本の書き直しを要求し、最後の2話は、原作者自身が書き直したと、伝わっています。
 
私が脚本家だったなら、原作者に書き直されるのは、プライドが傷つけられ、不愉快な思いをするでしょう。
おそらく、脚本家は、TV局から出される撮影上の制約や配役を踏まえ、10話にまとめて終わらせる脚本を書いたはずです。
つまり、雇用主であるTV局の指示・要望を満足させる脚本を仕上げたはずです。
それを、原作者に書き直されるのは、面白くなかったと思います。
 
原作者は、原作に忠実に製作してほしいとの要望を出したのに、それを無視されたのですから、面白くないと言うより、頭に来たと思います。
 
原作者はもちろん、脚本家も、被害者と言えそうです。
鴻上尚史氏は、それを指摘したのだと、私は理解しました。
 
 
 
古い話になりますが、当ブログがYahooブログだった10年前、韓国でセウォル号沈没事故が発生した際の話です。
 
当ブログに、ある海事専門家(と思われる人物)から、コメントを頂きました。
その余談で、TVに出演された際の話をしてくださいました。
「TV局の人間はTV放送のプロだと、感心した」
「だが、担当以外の話題でも、専門外にも関わらずコメントを求められたので困った」
(注:記憶で書いているので、言葉遣いやニュアンスの誤りがあるかもしれません)
 
放送することにかけてはプロの仕事をするが、内容となると、甘いようです。
ゲストには、コメントを言う機会を与えないと失礼になると思っているのでしょうか。
間違ったコメントをしてしまったら、専門外であっても、専門家としての立場がなくなってしまいますよ。
でも、TV局やMCは、そんなことを考えないのでしょう。
それは、コメントの内容に、重要性を感じていないからだろうと思われます。
 
TV局は、放送をスムーズに進めることと視聴率を取ることは真剣に考えるが、それ以外は、かなり緩いと言うか、甘く考えでいるようです。
 
 
もう一つの問題は、TV局を含むマスメディアでは、勝手に方向性を決め、それに基づいて仕事を進めていく傾向にあることです。
 
記者は、取材に行く前に、取材の方向性を指定されます。
例えば、オスプレイ配備を取材する際、「反対意見を取ってこい」と指示されるのです。
賛成意見は、最初から無視されているわけです。
オスプレイ配備に反対のニュースを流す方が、視聴率を取りやすいはずなので、最初から反対の取材だけを取材するのです。
だから、自己都合による原作の変更を、当然のことのように考えたのかもしれません。
 
こういった問題については、当ブログでも、まとめて指摘していますので、興味がお有りの方は、下記のリンクを御覧ください。
 
 
 
 
今回の件は、背景には、TV局や出版社の都合があったと思われます。
 
TV放送されれば、知名度は上がります。
私自身、「セクシー田中さん」の原作は知りませんでしたが、ドラマ放映は知っていました。
(そのドラマさえ観てないのに、偉そうなことを言ってる)
 
出版社は、ドラマ化で売上げが伸びることが、期待できます。
TV局も、話題性のある作品名を冠したドラマを作れば、好視聴率を期待できます。
つまり、出版社とTV局は、Win-Winの関係です。
となれば、ドラマ化を成功させることが、最優先の命題となります。
必要なら、原作を変えてでも、ドラマ化の成功を目指すことになります。
 
生身の人間が演じるドラマより、マンガの方が表現の自由度は高いはずです。
また、マンガには音声がなく、書き手や読み手が想像することになります。
なので、完璧に原作通りにすることは、おそらく不可能です。
原作者も、それを理解していたはずです。
原作者の理解をTV局が拡大解釈したために、今回の件が起きたのかもしれません。
 
 
ただ、この件の詳細がわからないので、これ以上の詮索は控えます。
 
出版社もTV局も、個人の集合体です。
多くの場合、原作の改変を指示した人物より、指示された人物に、精神的な圧力が掛かりやすいです。
それを踏まえておく必要があります。
 
個人攻撃は目的とせず、背景を理解した上で、不幸な事件の再発防止を考えていきたいところです。
 
 
 
 
 
それでも気になる点はあります。それは、契約内容と契約者です。
 
作品の版権は、出版社にあったはずです。
その場合、ドラマ化の契約は、出版社とTV局の間で交わされるのでしょうか。
そうであれば、原作者の意向は、反映されにくいように思います。
ただ、著作権は原作者にあるわけですから、原作者とTV局とも、契約が交わされるのでしょうか。
 
法律は素人なので、さっぱりわかりませんが、一つの契約書に、原作者と出版社とTV局の三者のサインが入るのかなと、思っています。
原作者と版権元と二次著作者の三者のサインになるのかなと・・・
 
もちろん、その内容を私が知ることはできません。
だから、余計に気になります。
 
 
 
 
 
 
私が原作者なら、「登場人物の変更だけは、絶対にダメ!」とし、それ以外はお任せにしますね。
登場人物の追加も、削除も、認めないことで、方向性を保ちやすくなるのかなと。
 
でも、世の中、甘くはないのでしょう。
 
芸能人事務所に出演オファーした際、若い俳優をセットで売り込んでくるかもしれません。
その場合、「一言でもいいから、セリフを付けてほしい」と言われ、脚本家が登場人物とセリフを追加するかもしれませんね。
 
 
里中満智子氏は、次のように指摘されています。
 
・原作は原作者個人の気持ちが込められている。
・映像化では、スタッフや所属事務所の考え等、多くの人の気持ちが込められている。
・原作者と映像化関係者との間には、考えの不一致が起こりやすい。
・「逆らうと、二度と書けなくなるよ」との脅しがあったとしても、屈してはならない。
 
 
原作者の要望は、簡単には通らないと考えるべきなのでしょう。
 
出版社とTV局は、Win-Winの関係になりやすいので、前のめりになりがちです。
となるも、ブレーキ役を務めるのは、原作者になりそうです。
 
 
原作者と、出版社やTV局と決定的に違うのが、原作に対する思い入れの強さです。
 
命を削る思いで書く原作者は、原作への思い入れが強いのが当たり前です。
出版社の担当は、原作者と共にやってきたので、原作への思い入れは強いはずですが、同時に、それを売るのが仕事なので、その分は弱くなります。
TV局は、原作者の苦労は見ていないので、原作への思い入れは基本的になく、如何にして視聴率に繋げるかを気にしています。
 
この差を、三者が共有し、妥協点を探るのが大切なのでしょう。
そして、妥協点からブレないように、明確に契約書に記載することだろうと思います。
妥協点が見つからなければ、契約しないことも、大切です。
それまでの話し合いが無駄になるので、勇気を必要とする決断になると思いますが、後々を考えると、断固、決断すべきでしょう。
 
一度、映像化の話が始まると、止めるのが容易ではありません。
ならば、余程の覚悟がないなら、原作者は映像化を考えないのが良いでしょう。
 
 
 
 
 
今頃、各TV局は、放映中や放映予定のドラマやアニメについて、原作者の意向の再確認が進められていることでしょう。
しないよりはマシですが、本来は、契約時にしっかりと確認しておくべき事柄ですよね。
 
二次著作者は、原作の映像化には、もう少し慎重になってほしいところです。
まぁ、今回のことで、しばらくは慎重にはなるでしょうね。
 
しばらくの間は・・・
 
 
(根が傲慢だからなぁ〜)