男女同権の言葉の意味は、男女で権利に差を作らないことです。

私は、男女の幸福度が同等になることを、真の男女同権と考えています。

権利は、男女で同じになっても、必ずしも、男女の幸福度が同じにはならないでしょう。

男女で生物的な役割が異なる以上、権利もそれに応じるべきです。

なので、男女で、与えられる権利は、同じではないはずです。

 

その上で、世間が言う男女同権を考えると、何が大切なのか、何が欠けているのか、見えてくるはずです。

 

 

 

一般に男性が有利な能力、例えば腕力は、圧倒的に男性が有利です。

ですが、全ての男性が、全ての女性より強いわけではありません。

 

中学の時、クラスの女子の腕相撲のチャンピオンが、男子に挑んだことがありました。

結果は、ほとんどの男子には勝てませんでしたが、小柄で華奢な男子には勝ちました。

学校内の女子のチャンピオンなら、男子の真ん中くらいには、勝てるのかもしれません。

 

 

腕力は、男性が有利ですが、男性に比肩しうる女性もいます。

同じように、同時通訳は、女性が有利と言われますが、男性の同時通訳もいます。

 

 

では、何をポイントにするべきなのでしょうか。

 

例えば、レスキュー隊員で考えてみましょう。

レスキュー隊員は、要救助者を救出しなければならない職業です。

時に、要救助者を抱えたり、引き摺ってでも、救出しなければなりません。

当然、腕力が必要です。

女性隊員だから、力が弱くても仕方がないとはなりません。

そんな甘いことを言えば、隊員自身が危険に曝されてしまいます。

女性であっても、必要な腕力を持つ必要があるのです。

 

ここまで言えば、見えてくるものもあると思います。

 

御想像の通り、必要な腕力があるなら、男女は関係ないはずなのです。

ならば、腕力の強弱で、隊員の選抜をすれば、問題はないわけです。

 

 

 

レスキュー隊員を選抜する場合、腕力で評価し、基準に達していれば、性別に関係なく採用すれば良いことになります。

 

ここで、「男女比がぁ〜」なんて、ナンセンスです。

男性であっても、必要なレベルの腕力を持っていなければ、本人の命にも関わってくるのです。男女比を基準に採用するわけにはいきません。

男女比で選抜してしまえば、必要な腕力がない女性は、現場で命を落とすことにもなりかねません。それは、本人のためにもなりません。

 

 

レスキュー隊員は、極端な例ですが、大切なことは、能力で選ぶことです。

つまり、正しく能力を評価することが、大切なのです。これさえ、キチンとできれば、男女同権なんか、簡単に実現できるのです。

 

長々と書いてきましたが、「男女同権の真の課題」は、個人を性別に関係なく正しく評価できるかどうかなのです。

個人を正しく評価できれば、当然、性別なんか関係なくなります。

 

昨今の流れでは、男性中心の職場では、男女比の辻褄合わせのため、どちらかと言えば、女性が優遇されているように感じます。

これも、おかしな話です。

 

個人を正しく評価できれば、優秀な女性は、当然、地位も上がっていきます。

全ては、個人を正しく評価できるかどうかに掛かっているのです。

 

 

 

言いたいことは、ほば言い終わりましたが、最終回は、次回にのばします。

 

 

 

 

 

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