息子の同級生のママさん | 難病でも幸せに生きる。

難病でも幸せに生きる。

7年前、脊髄小脳変性症を発症。
3児の母です。
重度自閉症の息子の事、私の病気の事など書いていけたらと思います。

辛いことの多い人生になりましたが、
なるべく明るく生きていきたい。

最重度自閉症の息子は小学生から特別支援学校に行ってます。

そこで一緒だったHさん。

シングルマザーで軽度〜中度の自閉症の息子さんを育てておられました。

時々近所のスーパーで偶然あって立ち話することもあったし、参観日や保護者会では言葉をかわすこともそれなりにありました。

控えめな性格でおっとりしていて話すスピードもスローペースなのでみんなで話すときは聞き役に回ることも多かったかな。一対一だったりラインでは深い話もしてました。

子供が同じクラスになることが多かったので仲良くなれるチャンスはいくらでもあったし、小1の時の担任の先生からは「Hさんは自分から積極的に話しかけて行くのが苦手なので、ヒラクさん仲良くして下さいとHさんが言ってましたよ」と言われました。

少しは仲良くなれたけど、2人で出かけたりランチに行くまでにはなれませんでした。

確か5年前位からだったか、大病を患い入退院を繰り返しました。

息子さんは、利用していた放課後デイサービスと同系列のショートステイに預かってもらってました。

私もこの病気になり何かをしてあげる事も出来ず、たまにラインで励まし合ってました。

息子達も高等部を卒業し、生活介護事業所に通うようになりました。

息子もHさんの息子さんも放デイ&ショートステイの同系列の事業所に入所しました。多分この先もずっと一緒です。


Hさんとも学校の時みたいに頻繁じゃなくてもたまには会えるだろうと思ってました。

そのHさんが亡くなりました。

障害のある子供を遺して。

Hさんには身寄りがなかった為、生活介護事業所の創設者である社長が後見人として、Hさんの息子さんを一生面倒を見ると約束したそうです。

障害がなくても子供を遺して先に逝くのは心配だろうと思いますが、障害があれば尚の事。親亡き後の子供の将来については障害児を持つ親の永遠のテーマです。


でも、生活介護事業所の社長に出会えたことでHさんはかなり心の負担が軽くなったんじゃないかな。  

社長は有言実行タイプの熱い男です。

きっと、息子さんの幸せを考えながらこの先面倒を見てくれるはず。

ちなみにこの事業所には私の中にあと3人小学生の頃からずっと一緒だった同級生が3人います。私を入れて4人。しっかり息子さんの成長を見て行くからね!

安心してお空から見守って居てねと思うのでした。


「朝顔が一生懸命上がろうとしている
空の中 いったい何があるの」

4月に亡くなった星野富弘さんの絵。
通所リハのカレンダーの絵です。
昨日通所リハに行くと7月でこの絵に変わってました。
Hさん、空の中には何がありましたか?