北奥のドライバー -13ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

ある日、年老いた女性がタクシーに飛び乗ってくるや「〇〇病院にお願いします!」と言ってきます。かなり焦っているようです。といいますのも、彼女の90歳近い旦那さんがバスの乗り降りの際に足を滑らせ、そのまま転倒骨折。病院に担ぎ込まれたというのです。

 

その女性が言うには、旦那さんというのが若い頃からの大の倹約家で、病院に通うにしてもその他の用足しをするにしても、現在よりも足腰がシッカリしていた頃は自転車オンリー。足腰がガタガタになった現在は「タクシーは高いから」といって頑なにバスを利用し続けた方のようです。

 

話を聞いていると、もう倹約家というよりも単なるケチンボウではなかろうか、というレベルでした。その旦那さんが奥さんに口癖のようにいっている事があるそうです。

 

曰く「日本国中の国民や会社がひたすらに倹約に励んでいれば、今頃世界に関たる金持ち国家になっていた筈だ。なぜ国民も会社も国も余計な買い物ばかりするのか。おかげでこの国は、どこもかしこも借金だらけではないか」

 

まあ、なんといいますか、マクロ経済的な知識も無い私がこんな事を言うのもなんですが、突っ込みどころ満載です。勿論、黙って「ハイハイ、御尤もです」と聞いていましたよ。そういう仕事ですので。しかし、こういった話を聞く度に、この国のデフレ型不況の源泉を見た思いになります。

 

まあ、こういった方々の情報源は財務省当たりの提灯持ちと化したテレビや新聞でしょうから、仕方がないのかもしれませんけどね。

 

現在の不景気、これらは国の政策ミスに起因する部分も大きいのですが、それだけではありません。寧ろもっと大きな原因といえるのは国も企業も国民も「金を使うな、将来にツケをまわすな、もっと安く効率化しろ」といって『ケチケチマインド』に取り付かれたせいで、世の中の金回りが悪くなってしまった部分の方が大きい。そのせいでますます会社の儲けも税収も下がり、そこで更に「もっと削れ」となって全体がジリ貧になってゆく。

 

更に、この不景気な社会背景に漂う空気、つまり「こんな不景気だから多少不当に扱われても仕方がないよね」といった、ボンヤリとした世の中の共通了解をこれ幸いとばかりに利用し、従業員を安くこき使って荒稼ぎをしようと目論む魑魅魍魎のような経営者やそれを煽る投資家等も跋扈するようになります。これらの価値観は政界、財界、マスコミ関係者を巻き込みながらどんどん巨大化してゆきました。これが更に社会の停滞に拍車をかけたのです。これこそが現在に見られるデフレ型不況の本丸といえます。

 

さて、話の筋を戻しますが、これまでも何人か、こういったお年寄りを目の当たりにしてきたのですが、彼らの共通点は、若い頃の苦労体験がお金への強い執着に転化して、殆ど病的といっていいレベルになっている事。

 

お金の話となると子供たちも信用せず、何の準備もしないままお金を抱えてあの世に旅立つので、後に残された家族や縁者が振り回される。

 

あと全員ではないのですが、案外他者の不幸に関しては鈍感といいますか、良くも悪くも自己責任論と親和性が高く、社会的弱者に無関心か冷淡な人も割合としてそこそこにいた印象があります。

 

ですから、私は一部の人が言うような「昔の人の方が現代人よりも思慮深く、道徳的に優れていた」といった言説には必ずしも同意しません。現在同様、付和雷同的で、複雑な議論に耐えられず、感情的な意見に流されやすい人が一定数いたと思うし、欲の深さも現代人と同様だと思います。

 

そういえばですが、この前乗せた、やはり90歳前後の年配者たちも口々に電通の女性社員の自殺に関して語っていましたが、「何であのくらいで死ぬんだろうね、私らなんか、若い頃にもっと酷い苦労をしてきたのに。ホントに今の若いのは心が弱くて情けないねぇ」なんて、ケロッとした顔で語っておりました。

 

ある意味、不幸が当たり前に多い時代を生きてきた人間特有の鈍感さといえるのかもしれません。あと、彼らの特徴として、『国民の生活を守る為の国』といった概念は希薄なように思います。どちいらかといえば「国というものは、社会の大雑把な秩序を守り、その秩序に必要な権威をもたらす為の存在であって、決してそれ以上のものではなく、ましてや困った事が有ったからといって無暗にすがるべき存在ではない」と考えているような印象を強く受ける事が多い。

 

そして、こういったお年寄りが最も投票率が高い。政治家も当然、最も人数の多い投票者の層を意識した政治活動を行います。ある意味、枯れた先進国に起こりがちな、悪い意味でのシルバーデモクラシー(老人民主主義)といっても良いかもしれません。

 

このテレビのニュースを見ていると、複数の県で教員不足がハッキリした形で顕在化していて、いよいよ危機的な状況になっていると報じられていました。確か小学校や中学校のような義務教育が特に大変なようです。

 

8~9年程前になりますが、ある非正規の『保健室の先生』と称する若い女性を乗せた事がありましたが、フッとその事を思い出したものです。正確にはこの保健室の先生というのは『養護教諭』と呼ぶらしいですが、彼女は正規の養護教諭が妊娠出産で1年間の長期休暇をとる為に、ピンチヒッター的に採用された方だったようです。

 

私は原則、お客様から話しかけられない限り、あまり喋らないようにしています。乗務員から話しかけられる事を鬱陶しがる方もいますし、話好きなお客様は自然にこちらに話しかけてこられますので、その時々の状況で話しかけられた分だけそれに応じる、といった感じでしょうか。

 

しかし、彼女は乗って来るなり色々と身の上話を始めたのです。余程腹立たしく、とにかくそれを吐き出して少しでも楽になりたい、そんな感じでありました。

 

郊外の住宅地から盛岡市内の繁華街に向かうたかだか15分程度の間でしたが、色々な話を聞かせていただいたのです。

 

その日は飲み会だったそうですが、ザックリと言えばお役御免になった事へのお別れパーティーなそうで、本人は「一年間ほどいいように使われて、形ばかりの飲み会をサッと終わらせて、後はハイさようなら。使い捨てもいいところですよ」と嘆いておりました。

 

学校に入って働いている間も周囲の職員達から「貴方は所詮非正規、我々の本当の仲間ではない」といった雰囲気がプンプンと漂ってきていたし、常に何処か孤立しているような印象を受けていたというのです。

 

今でもシッカリと彼女の言葉は耳に残っています。

「あ~あ、アホらしい。自分なりに一生懸命勉強してここまできたのに、数年かけてやっと手に入れたのは、たった一年間だけの非正規労働。今までの努力って、一体何だったんだろう……」

 

勿論、近年の一般教員の不足とこの養護教諭の問題は必ずしも一致する問題ではありません。現在問題になっているのは、これからの少子化を見越して一般の教員の採用数を小さくし、そこに生まれる隙間を安く雇える非正規教員で柔軟に埋めようとしたところ、全然そのなり手が無くて、地域によっては正常な授業のカリキュラムを消化するのもままならない状態に陥っているという問題です。

 

まあ、今現在、騒ぎになっている非正規教諭の不足の問題と先に書いた養護教諭の話で共通しているのは。

 

〇非正規なので、生殺与奪の権利が一方的な形で学校側に握られている事。

 

〇概ね正規の職員ではないという理由から、通常よりも給与が低く抑えられている事。

 

〇なかなか立証は難しいでしょうが、正規の職員から非正規故に疎外的な扱いを受けやすい事。

 

〇上記の二つと合わせて、その事に対する救済的な制度も実質的に絶無といっていい状態である事。

 

考えてみれば、教員免許なり養護教諭の免許なりを取得して大学を卒業するくらいの優れた能力が備わっている若者が激務な上に、こんな形で使い捨てされている訳です。普通に考えて印象が良い訳がない。就職先として不人気になるのは当然です。

 

「やりがい」だの「生きがい」だのといった、雲をつかむようなスローガンで事の本質を糊塗する事なんて、出来よう筈もないではありませんか。私がもし、これ程までの能力を持った若者だったとしたら、教師になる夢はサッサと捨てて、そこそこに名の知れた会社のサラリーマンにでもなる道を選ぶでしょう。当然です。

 

しかも、現在の若者はこの手の情報に敏い。自分の先輩方が非正規で理不尽に使い倒されている情報を学生時代からキッチリとキャッチしている筈です。この人手不足をどうしても解消したいのならば、優秀な非正規職員に対する正規雇用枠をシッカリとした形でつくってあげるとか、又は非正規故のリスクに見合った水準の大幅な給与の増額でもしない限り、この体制を維持するのは困難でしょう。

 

この『二人分の予算で三人分の教員を工面する』制度は2006年あたりからスタートしたそうですが、このままで行けば挫折の憂き目を見そうな気がします。どんなに論理的に優れ、整合性に富んでいるように見える制度だとしても、現場でそれを操るのは感情的で、差別心に憑りつかれ易く、不合理極まりない判断を下しがちな人間という奇妙な存在です。「聖職なんだから我慢しろ」は現代社会では通用しません。

 

人はパンのみにて生きるにあらず。しかし、パン無しでも生きてゆけません。そろそろこの事実と真剣に向き合わなければ手の付けられないような事態に陥るのは必定です。

 

我々は良くも悪くも人間なのです。聖人君子にもなれないし、機械にもなれないし、神にもなれない。

 

 

 

 

 

 

さて、随分と間が空いてしまいました。相変わらず体や頭の疲れがとれず、モヤモヤとした日々を過ごしております。相変わらず、筆がサッパリ進みません(笑)

 

今度は新規参入の会社に関して少々触れてみましょうか。2002年の規制緩和以降、盛岡市周辺では10社ほどの会社が新規参入してみました。最初は地元のタクシー協会に参入しない会社も多かったのですが、現在は方針転換したのか数社が加入しております。

 

これは思ったよりも稼げなくて協会に加入しない『独立独歩路線』からの離脱を余儀なくされた為のようです。まあ、それもそうです。規制緩和のおかげで少ない資本と車両の台数で会社を立ち上げれるようになったはいいものの、小規模の会社は当然毎月上がる利益も少ない、それに一から固定客を開拓しなければならない、しかも業界特有の離職率の高さからくる様々な経営リスク。

 

こういった社長さん達にしてみれば、「こんな筈ではなかった」といったオチになったのだと思います。以前も書いた通り、この業種は人数と台数にモノをいわせた人海戦術が出来る会社ほど有利になり、勝ち残りやすくなります。

 

盛岡市内における新規組の保有台数は確か、たかだか20台から多くても50台やそこらだったと思います。しかし、この平均所得が低く、30万人やそこらしか人口がなく、しかも規制緩和以前から既にタクシーが飽和状態に近かったこの地方都市で、一からタクシー商売を始めるとなれば、余程エゲツナイ使い捨て型の『ブラック労働』を乗務員に課すか、或いは神がかったセンスを持ち合わせた経営者でもない限り、軌道に乗せるのは容易な事ではなかったのだと思います。

 

……これは私個人の邪推の類いでしかありませんが、この新しい社長さんたちはハナから最初の数年は強烈な使い捨て型のブラック労働で、ポンポンと人材を捨てては補充しを繰り返しつつ、ある程度会社の体力がついた段階で、本格的な業務の拡大と更なる設備投資を行う算段だったのではないか。

 

当時、規制緩和で登場した新規参入組の会社は、世間の「もっと安く、便利に、心地よいサービスを」といった世間の風潮にマッチしていたし、もっといえば、「自由競争の時代なのだから、働き手が貧困化しても自己責任だよね」といった時代の空気にも非常に親和性を伴った経営手法だったのだと思います。

 

ところがです、現在も相変わらず新規組の会社を贔屓にする顧客はそれなりに多いものの、現在は登場した頃のようなインパクトがありません。ハッキリ言って存在感がイマイチ薄い。ウリはせいぜいのところ、「古くからある会社よりも、ほんのわずかに安いですよ」といった程度のものです。

 

以前、あるお客様から「どうせアンタら旧来型の会社の政治力か何かで、新しい会社の商売を妨害して潰したのだろう。最近は運賃が高くなっちまってかなわない」などと言われて絡まれた事がありますが、流石にそれは無いと思います。

 

そういう事ではなく、新規組の経営陣が想像していたよりも速いペースで乗務員不足と高齢化が進行してしまった為に、本来の目的を達する以前の段階でジリ貧状態となり、この『人材使い捨て型のゲリラ作戦』が行えず、遂に二進も三進もいかなくなった結果、生き残りの為に周囲の会社と歩調を合わせざるをえなくなったというのが本当のところでしょう。

 

これは大昔から存在した旧い会社も同様ですが、彼らはどこか漠然と「労働者なんてものは、どこからともなく無限に湧き出してくるものだ」と考えていたフシがあるように思います。しかし、かなり以前から社会全体が高齢化して就労人口が急激に減少している事、そしてタダでさえ少ない若者達が平均的に見ても高学歴化して、権利意識も強くなり、現場での肉体労働を嫌う傾向が強くなりがちになっている事。これらは色々な社会のトレンド情報であったり、ニュースなり、政府の発表なりに目を凝らしていればボンヤリとでも理解でき、また予測できた事です。

 

ザックリと言ってしまえば乗務員に一方的な努力とモラルを課していた業界の関係者が、実は自分達こそが最も的確な状況判断や勤勉さから縁遠い存在である事が、図らずもこのような形で証明されてしまった、そのように感じるのです。

 

さて、私の『邪推』の大元となっている話を幾つかいたしましょうか。

 

私の会社に在籍していたある乗務員は、新規参入の某タクシー会社で働いた事があったそうですが、移籍の理由を尋ねたところ、「ある時、給与明細を見ると、訳の分からない名目の経費として、2万円も無断で給与から差っ引かれていたので、会社に強く抗議したところ、何も言わずにすんなり返してきた。怖くなったのでそこを辞め、この会社に来たのだ」と証言しました。これは7~8年前の話ですので現在は状況が変わっているかもしれません。

 

またある会社では過去に一定以上の距離の長距離客に対して、トンデモナイ額の値引きをしていましたが、これは乗務員が自らの売り上げ(=給料)を削って行っていたものです。複数のお客様から過去に「〇〇タクシーは気の利いた値引きをしてくれるのに、オタクの会社は気が利かないねぇ」なんて厭味ったらしい口調で文句を言われた事がありますが、これは正直、非常に非道徳的な商売ですし、とても『素晴らしい、新しい商売』とはいえないものです。

 

ただ、ここでお客様の『兎に角安くてナンボ』といった価値観を一方的に責めるわけにもいきません。これは、こういったデフレ商売を無批判に良きものとして喧伝してきたマスコミ人や知識層、悪質な経営者が引き起こした事態です。この不景気で将来不安も多い世の中で、安いサービスに飛び付くお客様が多いのは尤もな事であります。

 

……しかしまあ、規制を強化したら強化したで、末端の乗務員は貧困状態に捨て置かれたままで一部の業界関係者だけが安泰といった状況になってしまう可能性もある。さりとて規制緩和をしたところで結果的に起こったのは、皆が疲弊して改革のエネルギーも尽き果て、思い切り不活性化した、焼け野原のような環境のみ。

 

改革かそれとも保護か。都会のインテリな理想論者の社会実験に付き合わされ、タクシー業界は右往左往。その副産物として生み出された魑魅魍魎のような経営者とそのアドバイザーたるコンサルタントたち。末端の労働者は、それらにひたすら振り回されるだけでありました。

 

はてさて、果たして10年後はこの業界、どうなっているのやら。