北奥のドライバー -12ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

盛岡市本町通り一丁目には一方通行の小さな小路があります。大昔は大工町と呼ばれ、その名の通りつい半世紀位前までは、土建関連従事者がよく住まっていたといわれます。現在も年配者は旧名で呼ぶ事の多いこの道路、大元を辿ると江戸時代の比較的早い時期に整備されたものなそうです。

 

 

 

今回は、過去にこの近辺に住んでいたという、ある年老いた女性客から聞いた、この大工町にまつわる昔話を書こうと思います。これを聞いたのはもう10年以上も前だったでしょうか。彼女は戦前生まれで幼い頃、この大工町と呼ばれた小さな小路から直線距離にして数百メートル程離れた愛宕町の一角で生まれ育ったのだそうです。

 

彼女の父親は昭和初期の当時としては、どちらかと言えば少数派と言えるサラリーマンだったのだといいます。当時は現在で言うところの労働基準法に当たる法律は一応存在していたものの、その内実は現在以上にいい加減であり、貧困で苦しい生活をしている人も多かったと思われます。そんな世の中で安定的で恵まれた月給取りの仕事にありつけるのは、どちらかと言えば少数派だったようです。

 

食い物、着る物、住む所に関する人の恨みは実に怖ろしく、そしてシツコイ。私は接客商売を長らくしてきた人間ですが、比較的恵まれていたと思われる家庭に生まれ育ったであろう老人のお客様が、ささやかな昔の思い出話に花を咲かせているところに貧困家庭出身と見られる別の老人が「不愉快だから止めろ!」と叱り飛ばしてきたり、或いは「私はそんな華やかな経験、一度もしなかったけどけどねぇ」などと嫌味ったらしい説教をして黙らせたりするような場面に何度か出くわした事があるのです。

 

ですから、こういった比較的恵まれた環境にいたと思われる層のご老人には、言葉遣いに慎重な方も多い印象があります。現に彼女の思い出話を語る際の物言いは、何処か世の人から無用の反発を受けまいとするような、「石橋を叩くが如く」といった印象の言い回しが多かった。そんな中である程度、お客様に信用していただけたのでしょうか、こういった思い出話を詳しく聞かせて貰えたのはある意味、客商売冥利に尽きる事であったと考えています。

 

さて、彼女は所謂一人っ子だったようで、両親から随分と可愛がられたようです。そしていよいよ小学生になろうかという年頃になった際、突然父親が「別の学区の学校に娘を通わせる」と言い出したのだとか。本来、愛宕町周辺に住まっている彼女は仁王小学校(盛岡市本町通り2丁目)に通うのが普通なのですが、彼女の父親が「あそこには大工町界隈に住んでいるような、粗野な肉体労働者の子供たちも大勢通う、大事な一人娘が万が一イジメにでもあったら大変だ」と言い出したというのです。

 

「気取った高給取りの娘」……恐らくですが、そんな風にして貧困な家庭で育った子供達から酷い扱いを受けるのではないか、そんな風に危惧したのだと思います。結局隣の学区にある城南小学校(盛岡市若園町)にわざわざ通う事になったのだとか。彼女はそういった自分の父親の過剰ともとれる子煩悩と神経質ぶりに関わるエピソードを苦笑交じりに語っておりました。

 

そして現在、この大工町と呼ばれる小路ですが、そういった粗野な雰囲気の人が住む場所という印象は私にはありません。恐らく世間から怖がられていた粗暴な肉体労働者の方達は概ね歳を重ねて鬼籍に入り、その子供達も新しい住まいを作り出して別の場所へと移り住んでしまったのだと思われます。

 

現在は何の変哲も無い様な戸建てとアパート、そしてマンションがあるだけの小さな道路となっています。盛岡も戦後数十年で随分と変わりました。そして、もしかしたら、そう遠くない未来にはこの大工町の『過去の真の姿』も社会からすっかり忘れ去られてしまう事でしょう。街の歴史というのはそういうものかもしれません。

 

 

 

四半世紀も前の事になります。私はまだ20代の若造で、その頃ある写真屋に勤めていました。盛岡市内から少々離れた郡部にある小さな写真屋で、毎日お客から現像依頼の受付をしたり、たまに写真の焼き付け作業をチョロッとしてみたりしていました。この写真の焼き付けというのは存外面倒なものです。センスのある者であればスムーズに習得できますが、私が焼くと本来あるべき状態よりも全体的に白過ぎたり、或いは暗すぎる絵になってしまい、失敗写真を量産しては先輩から叱責を受けていました。

 

「また印画紙を大量に無駄にして!」とか「スピード現像のお客様がイラついて待っているぞ!早く仕上げろ!」とか随分と言われたものです。

 

この頃は25~30分のスピード現像を多くの写真屋が当たり前のように行っていましたし、その依頼をしてくるお客も大勢いました。まずフイルムの現像に約十分。半自動の現像機から現像・乾燥の終わったネガフィルムが吐き出されます。その後に大きな焼き付け装置にネガフィルムを装着して印画紙に写真を焼き付ける作業を行います。焼き付け、現像、乾燥が終わった写真が機械から吐き出されるまで15分前後、もうギリギリです。

 

そこで焼き方を誤って変な色の写真が吐き出された場合、また15分前後かけて焼き直さなければいけませんが、そこで大幅な時間のロスが。短気なお客はそれで怒り出します。

 

「何故、皆は当たり前に一発で写真を仕上げれるのだろう。何故、皆はどんなに仕事が大量に詰まっていても滞りなく終わらせれるのだろう。何故、皆は書類でもレジ打ちでもほとんどミスを犯さず綺麗に仕事をこなせるのだろう」毎日が辛く惨めでした。

 

本当に自分でも呆れる程の凄まじいドン臭さでありました。最終的には写真関連で働くセンス無しという事で、周囲からお荷物扱いのような状態になり、その息苦しさから辞めてしまう事になってしまいました。とても苦々しい思い出の1ページではありますが、この仕事にも色々な思い出があります。今回はその思い出話の一つを書きしたためる事といたしましょう。

 

ある日私は注文を受けたカメラをお客のところに届ける業務を仰せつかりました。当時最新式のコンパクトカメラです。レンズは単焦点式ではなく、そこそこに手の込んだズームレンズで、新型で高トルクなモーターを積んでいる事からフィルム送りや巻き戻しもスムーズです。同じクラスのカメラの中でも総合性能はワンランク上で、その分お値段の張るカメラでありました。

 

そのカメラを注文してきたのは、小さな精密部品の組み立て工場で働いている、とある主婦の方でありました。どうも仕事先から最新鋭のカメラを家に持ち帰り、家族をビックリさせてやろうという算段だったようです。工場に入るとその同僚か上司らしき中年の男性が出てきて「彼女は今忙しいので、私が代わりにお金を持ってきました」とお金の入ったビニール袋を差し出してきました。

 

中にはそれなりの枚数の千円札、そして500円玉、100円玉、あと大量の10円玉や5円玉、一円玉も。恐らく貧しいながらに一生懸命コツコツとお金を貯めてきたであろうことが私のように鈍い若造でも理解できます。ところがその金額を数えていて困った事に気づきました。消費税分が足りないのです。どうも写真屋で見た価格を税込みの価格と勘違いしていたようでした。

 

慌ててその旨を『代理人の男性』に伝えると、「この位の値引き、なんとかなるだろう?カメラの仕入れ値はもっと安い筈だ、分からないなら上司と相談してでも値引きしてくれ」と言って一歩も引きません。当時私は携帯電話なんて結構な物は持っていませんでしたので、仕方なく事務所の電話を借りて上司に連絡をしました。

 

上司は上司で「困ったなぁ。消費税は飽くまで国に納める金で、会社の儲けとは関係ないのに。それにこのカメラは最新式で元々の値段が高いものだ。出来る限りの値引きはしたし、これ以上値引いたら赤字になってしまう。何とか向こうの人を説得できんか」と言って来ます。この時は本当に弱り果てました。

 

今度は恐る恐る工場の人に上司の言い分を伝えると

 

「おい、オニイサン、彼女は貧乏ながらに働いてきて子育てもこなし、コツコツとお金を貯めてこの日を待ちわびていた、とても善良な人なんだぞ。ちょっとくらい彼女の人生に報いるサービスが有ったっていいじゃないか」

 

とまあ、ドスの利いた声で詰め寄ってきます。まあ一歩も引く気配がありませんでした。弱り切った私は再び上司に電話をかけました。上司は渋々値引きを了承。しかし何ともモヤモヤの残る取り引きでありました。

 

だってそうでしょう、その工場労働者の女性は貧乏で善良な人なのかもしれませんが、何故その貧困がもたらすアクシデントの後始末を全く関係ない写真屋に負わせるのでしょうか。その『善良な女性』が救われるのならば、他の人間に多少の被害が及んでも構わないのでしょうか。

 

その私に詰め寄って値引きを迫った男性は、もしかしたら仲間を救う善行を行ったつもりなのかも知れませんが、その『仲間内のコミュニティ』の外側にいるであろう人間の不幸にはまるで無頓着な、そういった印象を受けたのです。当時はこれが上手く言葉で表現できずにただモヤモヤとした気持ちになったものです。

 

……仰る通り、その女性はきっと善人なのでしょう。しかし、一人の迷える子羊を救う為に、強引に他の人間の気持ちよく生きる権利を侵害し、しかもその災禍が外の見知らぬ人々に及んでも「俺の家族や仲間・知覚範囲の外で起こった事だから知らん」といった態度を結果的にですが、とって見せる様な人間が、「善人に報いよ」などといった文脈の話をしてみせるのは少々傲慢に過ぎはしないか。

 

もしかすれが「彼もきっと良心が痛んだ筈だ」と擁護するような人もいるのかもしれません。まあ普通なら多少なりとも痛む筈ですよね。しかし、私はやはり合点がいかない。そもそも彼女がコツコツとした貧乏暮らしをしていた原因の多くは、もっと大きな政治的・マクロ経済的な要因もあるでしょうし、「工場労働者はこの程度の賃金で良い」とばかりに安給料で働かせている経営者でしょうに。彼らはそれに何かキチンと異議申し立ての一つもしてきたのでしょうか。

 

「そんな事をしたら地域社会で生きていけないし、会社もクビになりかねない」なんて言い訳は通用しません。同情の余地はありますが、他人に不幸を押し付ける理由にはならないでしょう。

 

「あの人は善良だから助けろ」という考え方は一歩間違えば、存外危険な発想を含みかねないところがあります。何故ならこういった切り口で人助けをする時は、先ほども書いたように、全く関係のない赤の他人が皺寄せを受ける可能性が少なからずあるのです。そして、その行いを正当化する為に、今度は「あちらの人の善良さの総量の方が、こちらの人より上回っている」とか、「こちらの人の方が苦労の総量が上回っている」といった他人様の人生の価値を外側から勝手に推し量る傲慢な議論に行き着きかねないリスクがあるのです。

 

 

 

……そして、『善人』と呼ばれた人たち自身は最終的に全て沈黙する。他の『支援者』の大きな声だけが鳴り響く世の中。その時、真の善人といえる人々は消え去り、空虚な偶像としての『善き人』だけが渇いた荒野の中にとり残されるのです。