まねきねこ☆さよです。
日にちが前後しますが、
7/16のえなの稽古のレポートです
とてもしっかりレポートしてくれているのですが、意外にも書くのがそんなに得意ではないとのこと。
そこで、7/18のレポートからは、直接ブログに、えなの書きやすい方法で書いてもらっています
どちらが「えならしさ」人となりが見えてくるか、ぜひ読み比べてみてください



















ナイフとフォーク(静止・運動あり)
即興劇の集合体(なんと呼ぶのでしょうか?)
ナイフとフォークでは、相手の出方を見つつ、かつ相手任せにしないというバランスが必要となってくるアクティビティです。
私はどちらかというと、私のやりたいことをやってしまって相手が合われてくれるのを待ってしまうようなきらいがあるので、今回は相手が何をしたいのか感じることに注力しました。
その点では今回はちゃんと見て状況判断ができたかなと思いますが、まだまだ私の表現力不足で、私が何をしたいのか伝わりづらかった事がありました。
即興劇では、 相手がどういう反応をするのか 全く想像がつかないので、相手に対するリアクションが非常にリアルにできたと思います。しかし前のシーンとつながっているわけではないため、感情の切り替えが出来なかったことが多々ありました。また、どちらの役をやるかという相談が事前にできるわけではないため、さよさんの合図の直後の泉さんとの一瞬のアイコンタクトであったり、 自分はどちらの役をやるかというサインをどのように出すかと思考を廻らせたり、その一瞬の中での情報の量の多さ気づきました。
直後の振り返りでは、なぜ相手が そのような態度をとったのか考察しました。例えば私は泉さんが演じる息子がなぜ父親に怒りをぶつけたのか、自分が父親役の時は全くわかりませんでしたが、あとから振り返ると泉さんは役を通して一度も感情を発散させることが起きなかったのですが、息子役やってる時はまさにその時だったということを理解しました。 一方私は嫁役をしている時も姑役をしている時もその都度自分の感情を発散させていたので、もし私が 息子役をしていたら発散させる感情がなく、全く違った物語となっていたと思います。
このように、そのキャラクターの一つ一つの言動はそれまで生きて経験したきたものの積み重なりで、筋の通ったものであると知り、一種の感動を覚えました。同時に、その役を演じるのが泉さんか私かで全く別の行動をとりうるのですから、キャラクターには「演じている人そのものの経験や人柄」が透けて見えるようで、これらが交じりあってそのキャラクターに「味」が出てくるのかもしれないと思いました。



















まねきねこ☆研修生に興味がある方は、
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その点では今回はちゃんと見て状況判断ができたかなと思いますが、まだまだ私の表現力不足で、私が何をしたいのか伝わりづらかった事がありました。
即興劇では、 相手がどういう反応をするのか 全く想像がつかないので、相手に対するリアクションが非常にリアルにできたと思います。しかし前のシーンとつながっているわけではないため、感情の切り替えが出来なかったことが多々ありました。また、どちらの役をやるかという相談が事前にできるわけではないため、さよさんの合図の直後の泉さんとの一瞬のアイコンタクトであったり、 自分はどちらの役をやるかというサインをどのように出すかと思考を廻らせたり、その一瞬の中での情報の量の多さ気づきました。
直後の振り返りでは、なぜ相手が そのような態度をとったのか考察しました。例えば私は泉さんが演じる息子がなぜ父親に怒りをぶつけたのか、自分が父親役の時は全くわかりませんでしたが、あとから振り返ると泉さんは役を通して一度も感情を発散させることが起きなかったのですが、息子役やってる時はまさにその時だったということを理解しました。 一方私は嫁役をしている時も姑役をしている時もその都度自分の感情を発散させていたので、もし私が 息子役をしていたら発散させる感情がなく、全く違った物語となっていたと思います。
このように、そのキャラクターの一つ一つの言動はそれまで生きて経験したきたものの積み重なりで、筋の通ったものであると知り、一種の感動を覚えました。同時に、その役を演じるのが泉さんか私かで全く別の行動をとりうるのですから、キャラクターには「演じている人そのものの経験や人柄」が透けて見えるようで、これらが交じりあってそのキャラクターに「味」が出てくるのかもしれないと思いました。



















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