おはようございます
まねきねこ☆さよです
脚本や演出の感想を書いていくよ

ネタばれしていいのかわからないので、OKな人だけ読んでね!
話が飛ぶけど、思いのままに書かせてもらいます。
最初の方でガッツリ踊ったり、スピード感あふれるコント的なシーンで笑った!
最初にパワーのあるシーンを用意してくれたので、
舞台のエネルギーが上がって、導入部が楽に転がってくれたので、
観ている私も頑張らずに気楽に乗っていけてよかったなぁ。
アホみたいなシーン(本能寺の変)こそしっかり練習されていて、キッチリ見せてくれたところがとてもステキだ!
移動していくところは役者の素が見え隠れしてたけど、前向きのところは本当にイイ!
私もやりたくなった!もう一回みたい!
メインの3人の過去と今の場面を行ったり来たりしながら、
彼らが機能不全家族の中でどう生きて、何を決断してきたのかをうまく見せてくれるので、
今のこの子たちがここに存在しているのだと信じさせてもらえたよ。
この芝居を観ていると、いろいろ違和感を感じることが多いのだ。
後半になると、「ああ、伏線を張ってたのか」と思うんだけどね。
まずとても違和感があったのは、治郎とお母さんのシーン。
治郎に対する母親の態度が、とても不自然なのだ。
なぜなら、母のその態度は「息子」ではなく「女性」に対する嫌悪感やイライラのように見えるのだ。
何故こんな素直でかわいい治郎に、母はそんな姿を向けるのか、とても違和感があった。
でも後半、治郎がリボンになったとき、「あー、だから母の態度はこうなのか」と納得した。
とてもスッキリした。
話は変わるが、
智恵が先生で自分の空虚感(インナーチャイルド)を埋めようとしていたのは、よくわかる。
機能不全家族の中で子どもらしく生きられなかった彼女には、先生というアディクション(嗜癖)が必要だったのだ。
しかしここについても、心理学的(特に依存・共依存)にいろいろ考えさせられたんだ。
彼女が「性的虐待を受けた」と考えると依存傾向が出そうなので、物や行為(薬や買い物など)に依存する方が自然ではないか、と思うが、今回は人間関係に依存する共依存症者として描かれている気がする。
そこで治郎と繋げて考えてみた。
治郎は母の望みを叶えることで(勉強することで)、母の心のお世話をしてきた。
そうすると共依存傾向がでるのは自然かもしれない。
母親側から考えてみた。
「男をとっかえひっかえ」「相手の男がコントロール感が強い」ということから、
母親=恋愛依存症者
男 =回避依存症者
という風にも見えてくる。
ということは、母は依存、男が共依存、って考えられてくる。
そしたら、母が依存傾向なのだから、子どもは共依存傾向でカプセル化したってことなのか。
そう考えると、智恵が先生にしがみつきすぎてないのも納得だ。
つづく

まねきねこ☆さよです

脚本や演出の感想を書いていくよ


ネタばれしていいのかわからないので、OKな人だけ読んでね!
話が飛ぶけど、思いのままに書かせてもらいます。
最初の方でガッツリ踊ったり、スピード感あふれるコント的なシーンで笑った!
最初にパワーのあるシーンを用意してくれたので、
舞台のエネルギーが上がって、導入部が楽に転がってくれたので、
観ている私も頑張らずに気楽に乗っていけてよかったなぁ。
アホみたいなシーン(本能寺の変)こそしっかり練習されていて、キッチリ見せてくれたところがとてもステキだ!
移動していくところは役者の素が見え隠れしてたけど、前向きのところは本当にイイ!
私もやりたくなった!もう一回みたい!
メインの3人の過去と今の場面を行ったり来たりしながら、
彼らが機能不全家族の中でどう生きて、何を決断してきたのかをうまく見せてくれるので、
今のこの子たちがここに存在しているのだと信じさせてもらえたよ。
この芝居を観ていると、いろいろ違和感を感じることが多いのだ。
後半になると、「ああ、伏線を張ってたのか」と思うんだけどね。
まずとても違和感があったのは、治郎とお母さんのシーン。
治郎に対する母親の態度が、とても不自然なのだ。
なぜなら、母のその態度は「息子」ではなく「女性」に対する嫌悪感やイライラのように見えるのだ。
何故こんな素直でかわいい治郎に、母はそんな姿を向けるのか、とても違和感があった。
でも後半、治郎がリボンになったとき、「あー、だから母の態度はこうなのか」と納得した。
とてもスッキリした。
話は変わるが、
智恵が先生で自分の空虚感(インナーチャイルド)を埋めようとしていたのは、よくわかる。
機能不全家族の中で子どもらしく生きられなかった彼女には、先生というアディクション(嗜癖)が必要だったのだ。
しかしここについても、心理学的(特に依存・共依存)にいろいろ考えさせられたんだ。
彼女が「性的虐待を受けた」と考えると依存傾向が出そうなので、物や行為(薬や買い物など)に依存する方が自然ではないか、と思うが、今回は人間関係に依存する共依存症者として描かれている気がする。
そこで治郎と繋げて考えてみた。
治郎は母の望みを叶えることで(勉強することで)、母の心のお世話をしてきた。
そうすると共依存傾向がでるのは自然かもしれない。
母親側から考えてみた。
「男をとっかえひっかえ」「相手の男がコントロール感が強い」ということから、
母親=恋愛依存症者
男 =回避依存症者
という風にも見えてくる。
ということは、母は依存、男が共依存、って考えられてくる。
そしたら、母が依存傾向なのだから、子どもは共依存傾向でカプセル化したってことなのか。
そう考えると、智恵が先生にしがみつきすぎてないのも納得だ。
つづく