その場を丸く収めるは 良いこと?悪いこと?
・なんかモヤっとするんだけど
・なんかイヤなんだけど
・本当はイヤなんだけど
・いいや気にしないでおこう
・少しの我慢だからいいや
・私がガマンすれば丸く収まるからいいか
・なんて言えば良いのか分からないから
相手の要望に応えておけばいいか。
こうした人に共通している物、それは
私は人から大切にされていないという不満です。
そして、いつもそれを周りの人のせいにしてしまいます。
昔の私がそうだったのでほぼ間違いないかと思います。
では、そのカラクリを解いてみましょう。ココには種と証がございます。
私がガマンすればいい (優しさや親切のつもりで相手を優先する)
自分の本当の気持ちの方は無視 、相手ばかりを優先
「私の気持ち(尊厳)は無視されていい」というセルフルールを使用
「私は粗末にされていい存在です」というアピール…周波数を発生
周りは「あなたのルール」に従うようになる
ほとんどの人はこんなことが起こっているということを知らない。なんなら、人の要望を優先することは大事なことで、それが優しさだという気持ちを持っている。
それが正しいルールだと思っているので、他者も自分に対してそうするべきだと思っているが、他者は「あなたが遠慮する」ので「それを欲していないんだ」と理解し「差し出したものを引き下げる」
こうした人達の不満は目の前の誰かに対してじゃなく
自分に対して失礼な【もう一人の自分】に対しての不満です。
自分の尊厳を自分で守れなかった。この事に気付いていないので、それを人のせいにして周囲に敵意を向けている。そのせいでいつまでたっても幸福な人たちの輪の中に入っていけない。
長年やっていた事なので熟知しています(笑)自分が間違っていたなんて、ちっとも分かっていなかったですからねいつも周りが悪いと本当にそう思っていました。
なぜ周りが悪いと思うようになってしまうのか
子供の時に「尊厳を大事にする方法」を学ばせてもらえていないから。
それは、あなたの親が子供という立場だった時に上(親や先生)の人達が間違っていようとどうしようと下(子供だ)というだけで一方的に上を尊重するよう仕向けられてきたから。
尊厳を粗末にされ続けていたせいで、どんな事でも尊厳を無視し傷つけていると条件反射が起こるようになっていて、子供のあなたにでさえ危害を加える悪者だと決めつけるようになっていた。
また、子供時代を終えて今、上(親や大人)の立場に立ったことで、子供時代に従わされて来たルールの執行権を使うことが許されたので、子供を自分に従わせることで過去の屈辱を晴らそうとしている。
こうした仕組みが見えていないので、くすぶらせていた欲求に忠実に従っている。
こうして、いつも子供は自分の尊厳を粗末にされるこを甘んじさせられてきた。
結果、自分の価値はそうしたものだと思い込まされている。
それが「私は人から大切にされていない」という縮図に繋がっているのです。
自分を粗末に扱ってくる、自分に対して腹を立てているのです。
なのに、そのことに気付けず周囲に敵意を向けてしまい仲間外れにされてしまう。私はこんなに優しく、また努力もしているのに、周りはみんな酷い人達ばかりだという世界観を築き上げ、自分を正当化して世界に対して敵意と憎しみを持って孤独に生きている。
あちゃ~、昔の私のお話です。恥ずかしい
まずは、ちょっとしたことでも自分を褒める。
朝、顔を洗った自分を褒める。
これってとっても大事なことなんですよ。
そんなつまらないこと。日常の繰り返しじゃない。それだってとってもエライことです。洗わなくていいやって思ってそうすることだってできるのに、ひと手間かけて顔を洗っているのは褒めるに値します。それが出来ないから自分に腹が立ってくるんです。
自分が自分の一番の理解者になること
えらいね。今日も顔が洗えたね。って毎日、心の中でいいので言ってみて。自分を誇らしく思えるようになります。歯が磨けたね。掃除が出来たね。挨拶をしたね。
自分にいっぱい関心を向けてあげてください。子供はそうやって関心を向けられることで、ここで生きて良いんだ。ここに居ることが歓迎されているんだ。って自己肯定感を高めていくんです。
特別なことだけを褒めると、特別でないといけないんだと学習してしまいます。
自分に自分のリトルにちょっとしたことでいいので褒めることを始めてみましょう。
癒している人は、ココに書かれていること
ついつい自分を粗末に扱ってしまう自分に遭遇するたびに
あー、私ったらまた自分を後回しにしちゃったって自分に腹立てているのでは?(笑)成長してきたあかしだよね。昔は他者のせいにしていたんだからね。その内に自分に腹を立てることも減ってきます。みんな同じ癒しの道を歩いています