いっぱい頑張っている私に
いつかきっと神様がご褒美をくれるはず…
私は『いつもこう思って生きていたこと』に気付きました。
『自分のせい、自分を悪者にしていればいいんだ。そしたら相手を傷つけなくてすむし事態もこれ以上悪くならない。それに、いつかきっと…そんな私に神様がご褒美をくれはず。。。』
神様?
いいえ、これは「親」というのが正しい単語。
私は親から自然にそう教え込まれていたのかも。それが美徳と。
親から「そうしたことが出来るなんて素晴らしい子ね、感心ね」と気に入られたくて、誉められたくて。。。
親がそうした事を喜ぶのだと見抜いていたんだと思う。
または、親自身がそうした事を信じていたのを感じとってそうしたモノなのだろうと、信じ込んでしまったのかも?
いずれにしても私はそれを…
大人になっても、
結婚しても、続けていた。
何かあれば自分を悪者にして自分だけが苦しんでいた。。。。
でも、
神様も現れなければ、
こんな私を素晴らしいと誉めてくれる人も現れない、
親切や優しさが報われない事で
ただ疲れて消耗して
そうした悲しみや報われない思いは
いつしか怒りへと変化して
そうした怒りを腹の底に増やし続けている。。。
こんな生き方は健康的じゃない!
いるのかいないのか分からない神様を当てにするのではなく
自分で出来る事は自分でしょう!
もっと自分の言いたい事を発言しよう!
自分の気持ちに対する価値を求めよう!
その優しさと価値にはしっかり対価をもらおうよ!
「うそつきな私」は、もうやめようよ。
もっと堂々としようよ。
深くて大きな情をもった私、
お人好しはやめて、それに見合った対価をしっかりもらおうよ。
夫からもしっかりと、笑顔や感謝、お礼の言葉をもらおうよ!
そう、自分に言いました。
夫の過去を振り返ることで
このようなストーリー展開になるのは不思議でした。
でも、なんだか今回のセッションはある意味面白い体験でした。
私は、困った状況を解決するためには
『何をどう言えばいいのか?』
『どんな風に言えば相手に誤解をさせずに自分の気持ちを伝えられるのか?』
そうした会話力を伸ばせばいいんだという事を思いつかず
『じっと耐えていればいつか神様が助けに来てくれる』
そんな風な発想だけを親を通じて持っていた事に気付きました。
↑ ↑ ↑
こうした気付きはそれを改善したいという望みに繋がり
その人の人生が結果的に変わってくる。
これからはお互いの幸せのために
もっと自分を相手に伝える生き方をしたいと思います。
子供たちには、言いたい事を言わせてあげられる母親になりたいです。
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スワンちゃんのコーナーの シャルルさん の所で掲載されています。