私達は本来 霊的な生きもの
霊的ではないと信じこまされ実質以下に感じさせられている。
その事に違和感を覚えている人って意外に多いはず
だけど
*霊的だと名乗る人が「冷やかされ」「バカにされ」「恥ずかしい思いをさせられ」辛い境遇に追い込まれているのを見て、深層心理に「この話題は危険なんだ」と感じさせられている。
*誰が?なぜ?そんな事をしているのかは知らないし、そこにどんな利点があるのかも分からないけど…
霊的とは、私達は肉体以上の存在だということです。
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大切な人や動物の死に直面したことはありますか?
肉体に魂(霊)が
・居る状態
・居ない状態
肉体は全く同じ状態で目の前にあるのに
死んだ瞬間から
そこに愛を送る対象がなくなっている
どこに愛を送れば良いのだろう
あの人はどこにいってしまったのだろう
(その人(肉体)は目の前にいるにも関わらず)
心がざわつく…
この時に私達は気付く
私達は愛を物理的な肉体に送っていた訳ではない事に
物理的人間レベルでは目には見えない『霊』に送っていたという事に
私達が愛を送っていた対象
それは
私達の肉体の中に宿っていた『霊・魂』
私達はその霊を私達の心(霊)で感じている。
私達は霊的な素晴らしい存在なのです。
肉体はその『霊・魂』の存在を『分かりやすくする入れ物』
空気中の水分の存在は確認しづらいです。
水は空気中の水分より存在を確認しやすいです。
氷は水分よりも存在を確認しやすいです。
空気もただそこにあると確認しづらいけど、ビニール袋など空気の分子よりさらに小さな分子構造で出来ている入れ物に閉じ込めると、存在を確認できますよね。
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未来予知、透視、神との対話
神のような崇高な気持ちでの生活
「特別な事が出来ない/完璧に出来ない」からと言って
霊的ではないと
バカにされたり
劣っていると見下されたり
ソサエティーから押しのけられたり…
そんなこと必要ないかと…
地球環境の中で肉体を維持しながら生きるのは大変な事です。
たぶん今よりもっと生きやすくなれる方法(お国(人間)関係)人と人が友好に生きられる方法があると思うのだが…傷つけられた人は人に警戒心(敵意)をもつ、人を大事にする事は自分を大事にすること。。。。
イメージしてみて下さい。
①素手で小さな折り紙を折る←肉体という衣をまとっていない霊
②スキーグローブ着用で小さな折り紙を折る←肉体という衣をまとった霊
②の方が上手に折れる 又は ②でも上手に折れる
という人は少ないのでは?
②は明らかに①より難しいと思う。
私達がスキーグローブを着用した状態で
折り紙が上手に折れない(霊的とされる活動が出来ない)
からと言って
中に手が入っていない(霊的存在じゃない)訳じゃないと思う
霊的だと認めたからといって
予知や透視、神との対話、崇高な生き方が「出来なきゃならない」って事はないと思う。
地球に人間としている以上
人間を十分に満喫出来ていれば
人間以上を求める事はないかと?
だからと言って
霊的でない つまらない存在なんだ と限界を設ける必要もない。
人間としての自分と霊的な存在としての自分が融合して生きている
時々、霊的な存在の自分にフォーカスしてみるのも良いかも♪
でも、霊としては生きていけないから(笑)浮世離れしないようにね♪( ´艸`)
人間としての自分も愛せないとね♪
大切な人やこれまで関わってきた色々な人の霊に
心をこめて挨拶(感謝や謝罪)をしてみてね♪
魂が洗われると思うよ♪
私は、いつもこのブログを読んでくれている皆様が
人間として本当の自分を取り戻せるように手を合わせさせて頂きますね。
愛を得ようとして自分を脇に追いやらなくても、ちゃんと愛はもらえるものなんですよ。あなたが、あなたのままたくさんの人から愛されますように。