会津の巨星2人が、ここ1ヶ月の間に相次いで急逝した・・・

 

二人は、紛れもなく会津を支えてきた、文字通り会津の巨人であり偉人だった。

 

そして、私にとっては、二人はかけがえのない同級生であり、親友であり師だった・・

 

 

 

その、二人をこんなに短期間で、失い喪失感で胸の中にぽっかりと穴があいたようだ

 

思えば、二人は、全く正反対の性格、キャラクターの男たちだったが、まちがいなく、二人とも私の人生を変えてくれた・・かけがえのない存在だった・・

 

 

 

一人は、M

 

私に、アドバイザー、講演家としての道を気づかせてくれた最大の恩人だ。

 

彼が、いなければ、今の著者、講演家、貿易アドバイザー、社団の理事長としての大須賀 祐は、絶対に存在しない・・

 

建築関係の会社の社長でありながら、会津きってのITベンチャーの旗手、鍼灸師、さらには、フルート、サックス、ピアノなどを巧みに演奏し、会津に自分の音楽隊までつくり、超マルチな才能を発揮した・・・・そして、それらの経験をさわやかな弁舌で講演した・・

 

私は、その姿を、あこがれを持ってずっと見てきた・・・かっこいいぜ・・・おれも、あんなふうになりたい!同級生にもかかわらず、そう心から思わせてくれた・・・・まさに、ダビンチ並の万能の天才だった・・

 

私は、そんな彼を尊敬し、そして愛した・・(えーっ 念のため・・・違いますよ・・・もちろん、敬愛していたということです・・・笑笑)

 

心の師だった

 

会津を離れ、12年・・・私と彼は、東京、彼は会津と離れてはいたけれど、心にはいつも彼の笑顔があった。

 

そんな彼から、7月23日 突然メッセージが入った・

 

鍼灸師でもあった、彼からのメールの件名は【体調について】だった

 

最初は、私自身も昔、彼に施術をしてもらってたこともあり、その関係の話かと思った。

 

冒頭で、私は思わず、声をあげた・・

 

こう書かれてあった

 

 

「実は昨年末、大腸癌で腸閉塞の手術を受けました。ステージ3でした。 術後、経過はとても良かったのですが、3月の定期健診で腹膜に再発があり、いっきにステージ4になりました。

~~中略~~

先日容態が急に悪化して、現在は会津の病院に入院中です。

~中略~
大須賀との一番の思い出は、ベトナムで熱を出した時に助けてもらったことだな(笑)健康第一!これからも元気で頑張れよ!!」

 

 

私は、返した

 

「Mへ  何といっていいかわからない・・・人一倍健康に気を使っていたお前が、なんで・・・って感じがしています。しらせてくれてありがとう。ずっと、おまえの顔見てないから、会いに行きたいと思うけど、行ったらあえる状態なのか?もし、会えるなら行きたいんだ。」

 

彼は、言った

 

「面会は家族のみなんだよな」
「えっ 家族だけ・・」

 

私は、事の重大さに気づいた・・

 

そして、こう言った・・

 

「今、出張中で、会津にいけるのは,最速で8月6日か9日なんだけど、なんとか会えないか・・」
続けて、私は、言った。

 

「6日に必ず行くから、まってろよ ・・医者からなにか宣告されてるのか」

 

 

彼は、言った

 

「ああ さすがにまいったよ」

 

「6日は、上手く生きていて、一時的にでも自宅に戻っていたらって感じかな・・」

 

私は、さらに食い下がった。

 

「じゃ、今、会う前に声聞かせてくれ。電話で話せるか・・・」

 

7月23日17時48分・・・今思えば、これが、彼の声を聴く

 

最後になってしまった。

 

彼は、言った。

 

「ベトナムに研修旅行に行ったときあったろ。あの時俺が、原因不明の高熱で日本に帰れなくなったときに、大須賀お前は、ひとり残って、絶対に一緒に連れて帰るからな・・って言ってくれたよな・・・いつ帰れるかもわからなかったのに・・・
あの時、俺は、思わず布団をかぶって泣いた・・・死ぬ前にもういちど、会ってお礼が言いたかったけど、電話でごめんな・・・」

 

胸が熱くなった。その後の7分間の会話は、お互い現実を忘れるかのように、昔の話で笑いっぱなしだった・・

 

お互いのやばい話、昔のバカな話、はずい話、を止めどもなくしつづけた。

 

時がとまればいいのにって思いながら・・

 

最高に楽しかった・・

 

 

 

そして、8月4日、明後日彼に会えると思い、準備している私に

 

入った彼からのメッセージは、

 

「大須賀 〜やっぱ6日は会えないわ。声聞けて良かった^_^いろいろありがとな!」

 

 

私は、こう送った

 

「えーっ 調子悪いって事か? まだ、病院なのか?」

 

 

彼は、言った

 

「申し訳ない(T . T)」

 

 

なぜか、震えた

 

ほんとに最後なのか・・

 

私は、もう一度食い下がった

 

 

「話もできない感じなのか?
指定された時間に指定された場所にいくから」

 

 

彼は、最後に力を振り絞って、こう綴った・・・

 

「これもやっと書いてる感じ。。ごめんよ」

 

 

私は、覚悟した・・

 

ほんとに、彼がいなくなるのか・・

 

困惑した

 

そして、最後の言葉を告げた・・・

 

「そっか.... わかった 俺は、祈るだけだな... さよならは、いわないぜ 絶対...! ありったけのありったけ愛と感謝を込めて...!」

 

 

私と彼との最後の取引は、こうして幕を閉じた・・・

 

葬儀は、ものすごいものだった

 

会津中のVIPがこぞって参列

 

その日、会津から生花が消えた・・・

 

さらば、友よ・・・・

 

もう、50年後になるけど、俺もいくからまってろな!

 

そう言って、別れを告げた。

 

 

 

 

二人目は、J

 

会津が生んだ、豪放な、侠気あふれる熱い経営者だった・・

 

当時優柔不断な私に、男のチャレンジと覚悟を教えてくれた。

 

「大須賀 おまえ 男だろ!やると決めたら、なにがなんでもやるんだ・・いいか
なにがなんでもだ・・・ごちゃごちゃ言うな。何がなんでもと思えば、知恵がわくんだ」

 

彼との因縁は、中学時代にさかのぼる

 

詳しい状況は覚えていないのだが、水飲み場でちょっとしたことで口論になった。

 

言われた言葉に血が上り、やつの顔にパンチをくらわした。

 

そしたら、やつも殴り返してきた。

 

また、殴った

 

また殴られた・・

 

 

お互い、唇から、血がでて、周りの仲裁によってやっと冷静になった・・・

 

気分の悪いやろうだ・・・・そう思った。

 

もちろん、やつもそうだったろう

 

 

 

後日、仲良くなったとき、やつは言った。

 

「俺は、大須賀おまえが、普段からすごく嫌いだった・・・女子生徒にキャーキャー言われているおまえが、うらやましくて、ほんとに嫌いだった。【注:私が言っているのではありません。やつの言葉そのままです笑笑】だから、あの時に、つっかかったんだ」ってね。

 

それからは、よく一緒に飲みに行った。

 

旅行にも行った・・

 

一見すると、東映系のこわもてする感じがする男だったが、根はやさしいやつだった・・・言葉は、多少乱暴だったけど、義理人情にあつく、男のやさしさに溢れた男だった。

 

彼の大須賀 祐の紹介口癖は、こうだった

 

「こいつは、大須賀祐でジャニーズ系、俺は、Jで東映系」

 

破天荒な生活も手伝って、病気を患い数年前から、人前に出ることが、なくなった・・

 

昭和の男なのに、明治の男のような男気と豪快な生き方で、短い人生を一気に駆け抜けた。

 

彼は、私に覚悟すること、自分の信じる道をいけばいい!ことを教えてくれた・・

 

もし、彼が、いなければ、大須賀 祐は、田舎のさえない貿易商で、お山の大将で満足して終えたのではなかろうか・・・

 

二人とも、同級生ではあったが、尊敬のできる師匠でも、あった・・

 

さらば、友よ・・・

 

やすらかに眠れ・・

 

 

そして、ありったけの愛と感謝を百万本のバラの花束にして・・!

 




PS 写真は、18歳の頃、彼らとガチつるみしていたころの写真だ。

 

当時、私は、西城秀樹に似てるっていわれてた。(自分で言うな‥‥笑)

 

彼も、1955年生まれの同級生だ(もちろん、相手はそう思ってないが・・・笑笑…って言うか、存在さえも知らなかったろうが・・) 

 

同じ時代を生きてきた仲間に取り残されるのは、さみしくせつない・・