最初は、単純に憧れだった・・・
2004年ジェトロの認定貿易アドバイザーになって、小さいころからずっと、対人赤面症だった男が、人前で話すことを求められた・・・
嫌でたまらなかった・
人前に立つと、汗が吹き出し、身体は震え、最後にはどもる・・
こんな自分が、とてつもなく嫌だった。
「なんで、俺はこんななんだろう?」
自分のふがいなさに、消えてしまいたいくらいだった。
最初の講演を私は、忘れることがない。
2004年3月・・・アドバイザー合格から1ヶ月もしないのに、遂に恐れていた正式なオファーが来た。
相手は、地元の会津若松市商工会議所からだった。
断れない相手だった。
「まだ、人前で話すような事は、何もしていないので・・・」
私は、言った・・・
その時の会議所の幹部の言葉が、私の心を打った・・
「大須賀さん したじゃないですか・・・日本で486番目の貿易アドバイザーになったじゃないですか・・・会津の誇りです・・・今、会津経済は、空前絶後の危機に瀕しているのです。大須賀さん、個人の事情ではなく、会津のためにここは、みんなのために話して、勇気づけてもらえませんか・・」
何も言えなくなった。
その通りだと感じた。
私が、うまく話せるか?なんてことは、所詮は、自分の見栄やプライドの問題だろう!
どうでもいい問題だ・・
そう、思った。
だから、うまく話せなくても、私の話を聞いて、なにか得るものがあり、役に立つのであればという思いだけで引き受けた。
しかし、同時に恐怖と憂鬱が私を襲った・・
私に与えられた時間は、60分
気が遠くなりそうな時間だ・・・
何を話そう。
何が、みんなの役に立つんだろう。
当日の2日前から、眠れなくなった。
だって、そうでしょ・・
私は、自分が最も苦手、いや、恐怖に思っていた、人前で話す・・
しかも、100人の前で・・・
遂にその日は、来た。
寝不足と不安と恐怖と憂鬱で、鏡にうつる私の顔は、目は血走り、顔はむくみ、覇気がなく,つやがなく感じた・・
だから、その時の写真は、1枚も残ってない・・
考えに考えた講演内容は、こう題した。
「切り札としての国際取引」
これが、私の記念すべき第1回目の講演だった・・
何を話したか、全く覚えていない。
終わった時、大きな拍手をもらった時、私は、誓った。
「この拍手は、講演がよかったからではない・・・そんなことは、俺が一番わかっている・・・みんなは、やさしいから、よくやった!という励ましと今後の私の活動に対する期待で拍手してくれてるんだ。もっと、もっと、精進する必要がある!」
そして、2011年 あのスティーブジョブズの伝説の講演をTEDで知ることになった。
心が震えた・・
そして、思った。
真のパブリックスピーカーを目指すなら、この舞台に立ちたい・・
夢だった
しかし、それが、目標になった。
最初は、「カッコいい」
そんな、幼稚なそして、承認欲求だけの動機だった・・
そして、コロナの蔓延さらにはロシア、ウクライナの戦争が勃発
これによって、我々の生活は、180度変わった。
人は、いつどうなるかわからない・・・事を身をもって感じた。
さらに、戦争によって、我々の日常にも大きな影響がでている事実を垣間見た。
戦争は、国際紛争の最終手段であるから、これがなくなることはないのかもしれない。
お互いに国益を追求し、お互いの利益がぶつかったとき、さらには、どちらが正しいのか?
と言う、善悪論がぶつかったとき、起きるものだと私は思うからだ。
だから、スマップの「世界に一つだけの花」のように、善悪論ではなく、あなたも、正しい、そして私も正しい・・お互いよかったね!って言えば、いいじゃない・・
自分が、自分自身の中でのNO1を見つければ、いいじゃない・・
そう思った。
「よし、俺は、奇跡的に出逢う人を大切にし、それぞれの相手の正義、真実を尊重していこう。そうすれば、争い事はなくなるかもしれない」
お前に何ができる?
そう言われるかもしれない。
でも、何かをせずには、いられない・・・
そんな思いで、今回のTEDに、おこがましいかもしれないけど、登壇したのだ。
そんな思いが、少しだけでも、伝わったのか・・・・
9月2日現在で、リリースされて16万回の再生を頂いた・・
ほんのちょっぴりかもしれないけど、同じ思いの人たちがいることが、この上なく嬉しい。
ありったけの愛と感謝をこめて・・!
PS 一昨日・・私自身も驚いたのだが、【8月の再生回数が、なんと、世界第7位】になったとの報告があった・・
あなたに心から深謝・・!